日本で最も進化し洗練化された表現手段はマンガだと言われて久しい。私も以前、原作者としてひと儲けできないものかとシナリオを書いてみたことがあった。もちろん今こうして逃走しているのは
そのもくろみがあっさり失敗したということである。
そんな私が今回の旅で初めてプロの漫画家と話す機会を得た。
山田雨月さんという少女漫画家である。プロとなるにはかなりの苦労を積んできたのだろう。やはり凡人とはひと味違う人なのだった。
出会いからして衝撃的だった。彼女を初めて見たのはカンボジアとベトナムの国境である。ここは東南アジア周遊の一般的なコース上にあり通過する旅人が多いとはいえ、かりにも東南アジアの辺境である。道はボコボコ、地雷が埋まりポルポト派残党が潜みイミグレでは悪党係員が待ちかまえる、そんな無法地帯にいきなり、
パック旅行のごとくガラガラとカートを引く日本女性たちが登場したのである。私は目を疑った。
他の旅人といえば、男女を問わず巨大な荷物を担ぐタフな欧米人バックパッカーたちである。この足場の悪い東南アジアを旅するには荷物はすべて背負って歩くのが神髄だと信じて疑わなかった。まさかカートで国境越えする人が現れるとは思ってもみなかった。それが山田さんとそのご友人Nさんなのであった。強い……、そして
たぶん知り合いにはならないだろう、私はそのときそう思った。
さて、ホーチミン市に滞在中、せっかくここまで来たのだからメコンデルタに行ってみようと安い現地ツアーに参加した。そこで偶然にも同じくツアーに参加していたNさんに「国境で見かけた」と声をかけられたのだった。
「おお。えーと」
残念ながら
私はトリ頭なのだった。どうも思い出せない。記憶を探っているうち、そういえば国境で場違いなカートを引いていた日本女性がいたことをようやく思い出したのだった。ふたりとも気さくな話好きで、すぐに打ち解けることとなった。
それからのことは旅行記にもちょこちょこ書いてある。いきなりマイナスイオンネックレスを勧められたり、タコ揚げしていたり、一緒に食べに行った宮廷料理にケチをつけたり。ホイアンという古い町では、なぜかふたりは服の仕立屋で何着も服をしつらえていた。なぜ
異国のさえない町でいきなり服を作るのか、そのときはいまいちよくわからなかった。日本でなぜかベトナムがはやっていて、そういった情報があふれていたらしい。
いろいろ話を聞くうち、海で泳ぐために浮き輪を持参していて、さらには
ライフジャケットまで用意してあったという事実も判明した。惜しくもライフジャケットは荷物に入らなかったので持ってこなかったらしい。やはりただ者ではない。
広島出身ということでちょっと納得する面もあった。経験上、どうも広島女性というとパワフルという印象を持っていた。私の周囲では「広島女性は自分のことをワシと呼ぶ」という情報まで流れていたが、
さすがにそういうことはないらしい。静岡人にとって広島はお好み焼きとヤクザのイメージしかないのだった。
ハロン湾ツアーを一緒に参加したあとはなかなか会う機会がなかった。代わりに偶然に再会したのが、流浪の作家
石田裕輔さん。石田さんとはフンザで初めて出会い、お互い逆方向に地球を移動した末、偶然にもバンコクで再会し、さらにハノイでまたしても再会したのだ。石田さんに「こういうふたり組がハノイにいる」と彼女たちのことを話すと、会ってみたいと興味を持たれていた。その後ふたり組は簡単に見つかったらしい。
かなり特徴のはっきりした先生とご友人なのだった。
日本に帰ってきてから友人Nさん含め三人で再会も果たした。広島市にはまんが図書館なるハコモノいや文化施設があるらしい。収蔵されているのか訊いたところ、照れがあるのか「収蔵されていなくてもいい」というつつましい返事だった。地元の漫画家なのだからきっと一コーナー設けてあるに違いない。さっそく広島市内の本屋で発見した山田さんの著書にサインなどもらうが、
どうも失敗したらしい。へんに手慣れていないところがほほえましいではないか。
そんな魅力あふれる山田雨月さんの最新単行本「マニッシュ・ガール」の旅行記に私が登場しているのだ。Dさんという
抜けた感じのヤツがそうで、やけに特徴をつかんだ絵なので面が割れそうだ。ますます私のファンが増えることだろう。
山田さんの作風はほんのりとしたコメディで、意表をついた場面設定が持ち味。恋に悩む多感な少女たちに愛読されているのである。希少価値も高いので、本屋で見かけたら入手することをおすすめしたい。
既刊の単行本
ぐりさんの受難な日々
ドスッと恋!
雪の降る街
マニッシュ・ガール
(いずれもマーガレットコミックス)
(02.12.14)
戻る