さわやか旅行記 中国


 驚きの中国 (中国 02.5.24)
 辺境の大観光地 (中国-2 02.5.29)
 雲南省に滞在して (中国-3 02.6.9)
 中原をうかがう (中国-4 02.6.20)
 中国的観光スポット、そして上海 (中国-5 02.8.4)
 これがあの北京 (中国-6 02.8.5)
 北との国境の町 (中国-7 02.8.5)


熊猫


驚きの中国 (中国 02.5.24)

 今回の旅で知り合った人の中で、一番評判が悪かった国が中国だった。人民はうるさい、人民はマナーが悪い、人民はうっとうしいなどなど。その噂は本当だろうか。まずは辺境の地である雲南省から旅を始める。

これがあの中国なのか
 ラオカイと国境を接する中国側の町は河口(ホーコー)である。真新しい国境の橋を渡り中国側に入ると、立派なイミグレーションの建物が越境者を迎える。中に入って入国カードに記入、トイレに行ってから手続きをしようとすると中国人の団体がずらりと並んでいた。これは時間がかかりそうだとぼおっとしているといつの間にか自分の番になっていた。
 外国人なので多少時間はかかるものの、これまでのカンボジア、ベトナムなどとは比べものにならないほどスムーズに処理が行われ、あっさりと中国に入国することができた。なんという手際の良さだろう。
 イミグレーションを出たところに商店街が並んでいる。もちろん看板はすべて漢字。なんとなく意味が分かるのでほっとする。歩いているとしきりに安宿らしきところの客引きが声を掛けてくる。外国人を宿泊させるには特別の許可証のようなものが必要なはずだ。ガイドブックの漢字を見せて日本人だと説明するのだが、問題ないらしい。それにしても熱心な客引きだ。
 中国銀行という、この国で唯一両替ができる場所に行ってガイドブックの中国語を見せながら両替をしようとする。すると行員に、英語が話せないのかと逆に問われてしまった。外に出ればATMまである。
 宿を決めてから町を歩くと、そこかしこで大きな建物が目に入る。食堂ではメニューに値段が書いてあるし、物資もあふれている。人々は笑顔で接してくれ、言葉がわからなくても会話集と筆談でなんとかなってしまう。明らかにベトナムやラオスとは違う雰囲気だ。
 夕方に食堂を求めて歩いていると、しきりに客引きする食堂がある。砂鍋という、一人前の土鍋で作った炊き込みご飯のような料理だ。それだけでおなかいっぱいとなる。食堂のヒマそうなオヤジがガイドブックを見たがるので見せると、楽しそうにのぞき込んでいる。すぐにうちとけてオヤジ、エッチな映画が見られる場所を紹介してくれたりする。よけいに親切なオヤジである。
 雲南省は中国でも人がいいことで旅行者に有名な地域らしい。こうしてベトナムから入国することでそのことを実感したし、予想をはるかに上回る発展ぶりに驚くばかりだ。これは中国に対する見方を変えなければならないかもしれない。

昼飯つきデラックスバス
 河口から、雲南省の省都である昆明まではデラックスバスで移動する。鉄道は運休しているとの噂があったからだ。多少高い値段のデラックスバスだが快適そのもの。ミネラルウオーターが支給され、昼には食事のサービスまである。テレビでは映画を流すのでヒマもつぶれる。道も予想以上にしっかりとしている。こんなに快適でいいのか。
 拍子抜けしつつ昆明にたどり着く。宿はバックパッカーに有名なホテルのドミトリー。昔から利用されているだけあって設備はかなりボロくあまり快適ではない。まあ大都市は仕方がないだろう。
 それにしても昆明は信じられないくらいにこぎれいな町だ。何年か前に博覧会があって、そのために町中を大改装したという話を聞く。道もきれいだし建物も新しい。それなのにちょっと路地に入ると庶民的な食堂で安く食事ができたりする。想像していたよりもかなり居心地がいいではないか。
 翌日はさっそく移動を開始し、中国内の目的地のひとつである麗江に向かう。例によってデラックスバス。ただし今回の昼飯は油がくどく、いきなり腹をこわしてしまった。しかしリッチなデラックスバスの旅である。トイレがついているので問題なく用を足すことができた。壁に中国語で大便はやめてくれというようなことが書いてあったのだが、都合が悪いときは漢字が読めないことにしておく。
 腹をこわした以外はほとんど快適で、中国映画を2本も楽しんで麗江に到着することができた。本当に、こんなに楽でいいのか中国。

中国最後の砦
 こうしてなにもかもが発展していて、話しに聞いていた不便さをまるで感じない中国。むしろ好きになってしまうくらいの快適さなのだが、やはり中国名物の不快さは残されている。うわさに名高い、あの中国式トイレである。
 中国という国はそこかしこに公衆便所があり、若干の小銭を払う必要があるもののトイレに困ることはあんがい少ない。しかし中に入ってからが問題で、男子の場合、大便コーナーの壁が低く、さらに扉がないのである。正面に人がいる場合、向かい合わせで大便をしなければならない。空きトイレを求めて歩いていても、中国人民が大便する姿を見てしまう。これはちょっとしんどい。
 壁があればまだましで、ただ溝が掘ってあるだけのトイレもある。その溝に男たちがずらり並び、ある人民はズボンをずらして大便、ある人民は直立して小便とずいぶんせわしない。そのトイレに入ろうとしたら、逆に大小便人民たちの視線を一気に浴びてしまった。ナニも出していないのにこちらの方が恥ずかしくなってしまう。
 水もよく流れないのか、ブツが残っていたりすることもしょっちゅうだし、紙を流すと詰まるわりに他のアジア圏のように水では尻を洗わないので、使用済みの紙がゴミ箱に捨ててあって臭ってくる。中国のトイレはかなりくさいのだ。
 安宿のトイレも公衆トイレと似たり寄ったりで、水洗ではあるが扉がない。孤独を愛する自分としては貴重なパーソナルスペースを奪われてずいぶんとつらい。
 以前会った女性の話では、女子用トイレでも扉がないらしい。相部屋の誰かがトイレに行ったときは他の人はいかないようにしたりと気を使っていたと話していた。トイレが改善されれば中国はさらに旅がしやすくなるだろうに。

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辺境の大観光地 (中国-2 02.5.29)

 中国でもかなり外れの雲南省、さらにその外れにある麗江は辺境の地そのもの。ところが世界遺産に登録された影響からか一大観光地と化している。一気に開発の進んだ町並みに戸惑いつつも、中国の奥の深さには感動させられる。なんといっても人民そのものがおもしろいのだ。

めまいのする観光地
 中国ではいま、未曾有の観光ブームが到来しているという。観光地には団体や個人旅行の人民があふれ、時には移動することすら困難になるほどらしい。この辺境の町麗江にもその観光ブームが押し寄せていて、観光の中心となる旧市街は人民また人民の嵐だ。瓦屋根の古い町並みはほとんどがおみやげ屋や旅行者向けのカフェで、チェコのプラハのように完全なる観光地となってしまっている。これほど観光客が多いとは思っていなかったので、ちょっと驚いている。
 広い国土を反映してか、同じ人民でもいろいろなタイプの旅行者を見かける。胸にバッチをつけ、お揃いの帽子をかぶったおなじみのさえない団体客がガイドに引きつれられて歩いているかと思えば、日本人のアイドル並みの美女と男性のカップルがおしゃれな服を着て散策していたりする。おしゃれな人々はおそらく上海あたりからやってきた人たちだろう。いずれにしても、アジアを旅するバックパッカーのようなサンダルとボロシャツを着ている人間などここにはおらず、貧乏くさい格好をしているとかなり目立ってしまう。「Las Vegas」「San Diego」といったウソ臭いデザインの古着Tシャツで旅をしている私も、早々に服を買い換えなければならないと真剣に危機感を抱いてしまう。
 世界中で目の当たりにしてきた中国人たちの写真好きがここでも観察できる。なんといってもここは本場中国である。かの江澤民主席が書いた「麗江古城」の題字の前では、これでもかといわんばかりに大量の人民たちがおしかけて記念撮影をしている。グループ内にいるひとりの女性に対して3台くらいのカメラを構えているときもある。片手を頭にあててみたり、わざとらしく斜め横を向いて遠くと見たりと、日本では恥ずかしすぎるクサいポーズを臆面もなく取って撮影していたりもする。かけ声は「イー、アル、サン」。いちおうカメラを向けているときは、人民を含めみんな気を使ってその前を通らず待っている。しかし、イー、アルでアングルを変え、またイー、アルを繰り返す迷惑な撮影者も多い。
 さて、町を一望できる小山には、萬古楼という若干卑猥なニュアンスを含んだ塔が建っている。入場料を取られるので登らなかったものの、その近くから旧市街が見渡せる。上からならおみやげ屋も人民も見えない。きれいな町並みだ。
 かなり性根の座った観光地である麗江。とはいえ町並みは古びた感じがよくやはり雰囲気がある。川沿いのカフェでのんびりしたり町をのんびり散策するだけでも楽しい町だ。これだけの町並みだとちょっとやそっとじゃ廃れそうにない。日本のせこい観光地が悲しく見えるほどの資産、さすがは中華人民共和国である。

 時代劇の下っ端 昼休みに安飯をかき込む中国の役者たち


隣村で秘境の仙人に会う
 麗江はナシ族という少数民族の住む町で、そのナシ族発祥の地といわれるのが、麗江に近い白沙という小さな村である。そこには世界中の旅行者に有名なドクターフーという漢方医が住んでいて、ガンが治ったとか非行息子が更正したとか、よくわからないがそんなような怪しげな効力を発揮する漢方薬を処方してくれるらしい。麗江に来た旅人のほとんどがドクターフーに会いに行くということで、自分も行ってみることにした。
 乗合タクシー乗り場から歩くこと数分、それっぽい場所を発見する。家の前に日本語や英語で書かれた彼の紹介記事が張られているのである。よくありがちな、マスコミ好きのほら吹きオヤジの家といった感じである。ここなのかとじっと入り口を見ていると、仙人のようなジジイがちらりと顔を出し、私と目が合うとまた中に引っ込んでしまった。日本人が来たらうれしそうに話しかけてくるという噂だったのにどういうことだろう。
 こちらから中に入ってドクターフーかと問うと、ジジイは「いかにも私はホーだ」と流ちょうな英語で返してくる。そして話しに聞いていたとおり、日本語の紹介記事を多数見せられ、苦い薬草茶を飲まされる。その後も情報通り、薬草や日本人の名刺、さくらももこの絵などを次々に紹介する。それにしても、親切おじいさんという噂とは違って投げやりな態度である。
 そのうち、中国人女性2人、中国語が話せるアメリカ人カップル、ご年輩のオランダ人夫婦と立て続けに客が入ってくる。けっこう繁盛しているではないか。客が増えるに連れ、私の扱いはどんどんぞんざいになる。サイン帳を読んで、今回試してみようと思った毛生え薬をすでにオーダーした人がいることがわかり、あまり興味もわかないままホーの家をあとにするのだった。
 さて、私の滞在する宿では、まじめな日本人がホーの処方した薬をまじめに飲んでいる。すると宿のおばさんがそれを見て、「そんなものは利かない」というそぶりで嫌な顔をした。けっきょく、地元の人にはただのうさんくさいジジイとしか写っていないようだ。もの好き外人たちだけがありがたがる変わり者漢方医。辺境のさらに秘境の村に住んでいてムードはばっちりだが、この程度のじいさんなら13億の人民を抱える中国にはわんさかいるだろう。

民族の本質を語る隣村
 白沙はなにもドクターホーだけが見どころではない。白沙近郊に玉峰寺というチベット寺院があって、歩いて20分ほどでたどり着けるといううわさを聞いた。それなら行ってみようとガイドブックの「白沙北西4〜5キロ」というやけにアバウトな情報のみで気軽に歩き出すことにする。どうせ道など一本道とたかをくくって歩くがまるでそれらしき場所にたどり着かない。
 20分ほど歩くと、同じように寺を探しているらしき白人が休んでいる。寺を知っているかと訪ねると、彼もわからないらしい。彼と会わなければすぐにあきらめて引き返していたところだが、中国人とともに漢字を操る日本人としての実力をこの欧米人に見せつけなければならない。とはいえこんな田舎道を歩くのは頼りないオヤジのみだ。仕方なくこのオヤジにガイドブックの漢字を見せると、さらに遠く、山の麓の方を指すではないか。白人に向こうだと伝えるが、明らかにこの白人は私のことを信用しておらず、疑い深そうな表情を返してくる。彼は自転車だったので先行したものの、道がないと行って引き返してきた。私はオヤジの示す方向を信じて進むしかない。
 さらに歩くと小さな村に出る。漢字を見せてさらに進むと、行く手に現れたのは中国風の寺である。チベット的ではないと思いつつ中に入ると、昼間っから遊んでいるナシ族の男たちがたくさんいる。ひとりにガイドブックを見せると、さらに20分くらい歩くというようなことをジェスチャーで表す。よくよくその建物の名前を見れば、「玉龍祠」という玉以外はかなり違う名前であった。
 村人の示したとおり道を進むと、ただでさえ心細かった道がついに獣道のようになってしまい、周りも人などまるでいない高原になってしまった。それでも遠くの方に建物が見える。ひたすら坂道をのぼり続けると、その建物の題字がかすかに見えるようになってきた。ようやくその題字が判別できるところまでたどり着くと、書いてあったのは無情にも「玉水塞」というこれまたタマ違いの名前であった。すでに1時間以上歩いている。おそらく村人が玉がつくので間違えたのだろうと考え、とぼとぼと来た道を引き返すことになった。
 帰る道すがらつくづく思うのは、ナシ族の男は本当に働かないということだ。昼間っから若者やおっさんがそこらじゅうをううろろしている。その反面、女性たちはおばさんを含めよく働いているように見える。白沙に戻れば、この村の娯楽らしいビリヤードをしている男たちをそこかしこで見かける。ただの学生たちのサッカーの試合に大勢の村人が見学に来ていたりする。

 ビリヤード ビリヤードをするガキども。勉強しろ

 ナシ族の文化の集大成といえる麗江も、近年の観光ブームを当て込んで商売のうまい漢族たちがずいぶん進出してきては儲けているらしい。自分が泊まっている宿はナシ族の経営する宿だが、宿のオヤジは昼間からそこらをうろうろしているだけで、このオヤジがなにをしているのかということが宿の情報ノートの大きな話題になっていたりと、まるで仕事をしているそぶりがない。それだから漢族にやられるんだよと、旅をして遊び呆けている自分の立場を棚に上げて説教したくなるくらいだ。とはいえ昔からそういう暮らしをしてきたのだから責めるわけにもいかない。少数民族の苦悩である。
 ただしこの白沙にも観光客がたくさん押し寄せていて、すでにおみやげ屋が軒を連ねていたりする。この異常なまでの観光ブームと相まって、この静かな村も変わりつつあるようだ。
 ところで、今回目指した玉峰寺は、玉水塞のさらに奥地に実在したらしい。そんなに遠いのだったら遠いとひとことガイドブックに書いてほしいものだ。数々の“玉トラップ”をくぐり抜けて無事たどり着いた人は何人いるのだろう。まあ、玉龍雪山という名前の山の麓にあるのだから玉だらけなのも無理はない。

辺境の宿
 私がまず麗江を目指したのは、イランからトルコにかけて一緒に旅をした方がここに住んでいて、中国の情報をいろいろ聞いてから旅を始めようと思ったからだ。思い返せば例のアメリカでのテロがあった日、ここと同じようにイランの辺境の町であるバムで麗江の話を聞いて、「いつか行きますよ」と宿の名前を控えたり名刺をもらったりしていたのだった。まさか本当に訪れることになるとは思ってもみなかった。
 ここはナシ族の一家と従業員で切り盛りする民宿のような宿泊施設で、比較的安価で夕食が食べられるので長期滞在者にはありがたい。これまで滞在してきた日本人に人気のある宿は、必ずといっていいほど食事がついていたり安かったりと便利だった。無精な日本人にはありがたい宿である。
 はじめは日本人ばかりの宿かと思っていたのに、例の観光ブームで様相が変わったのか、泊まっているのは常に半分以上が中国人で、食事をしているのは自分以外すべて中国人という日も珍しくない。宿泊客がほとんど現地人というのは欧米など先進国ではありがちなシチュエーションなので、そう考えると、少なくともここ麗江に関しては欧米並みになっていると言えなくもない。
 さて、のんびりしようと思ってこの宿に泊まったものの、中国人観光客たちは精力的に観光をしているので、昼間から中庭の椅子に座ってぼおっとしていると、自分がずいぶんと怠け者になってしまったような気がしてちょっと落ち着かない。パリの韓国人宿で味わった気分に似ている。
 こんな宿に泊まって個人旅行を楽しんでいる中国人はさぞかし裕福に違いない。とある夫婦の旦那さんはとても腰が低く、他の人たちのご飯を茶碗によそっていたりする。他にも、日本のアイドル並みのきれいな女性とハンサムな男性のカップルが泊まっていたりしてなんかくやしい思いをしたりする。特にその女性が、そこらの日本女性より感じがいいので驚いてしまう。ずうずうしくてうっとうしくてなんかダサい中国人、そんなイメージを吹き飛ばす人々に出会い、中国もあなどれないなあと思ってしまう。
 活動的に町を散策する中国人とは対照的に、中庭でぼおっとしている我々日本人。麗江に来てからというものの雨ばかりでまるで天気が悪く、そういうときは茶を飲みながら日本人同士で無駄話をして、のんびりと座って雨空を見上げるだけなのだった。これで天気が良かったら、まるでひなたぼっこをする老人たちのようだ。堕落した生活に危機感を覚えたのか、泊まっていた日本人4人が天気も悪いのに一斉に出ていってしまった。私はといえば、急激に寒くなった気候についてゆけず、風邪気味で動けないのだった。

 毛沢東像 やけに青空が似合う毛沢東先生


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雲南省に滞在して (中国-3 02.6.9)

 評判の悪い中国の中でも比較的人気が高いのが雲南省である。風邪をひいたりして体調を壊したということもあり、ずいぶん長く雲南省に留まっている。いろいろ中国人に対するイメージができつつあるが、ここはまだ中国の田舎なので間違って解釈しているかもしれない。

沈没したくなる大理
 麗江と並んで日本人に人気が高いのが大理という町である。大理国という国の首都だったところで、いまでも城壁に囲まれた古い町並みが残っていて雰囲気があり、多くの観光客が訪れている。
 大理は日本人の長期滞在者が多いことで特に有名だ。実際に訪れてみて納得したのは、日本食を出すレストランがあったり、安く泊まれる宿があったり、気候が暑すぎず寒すぎずちょうどよかったりと居心地がよさそう。遠くには4000メートル級の峰々が連なり、町の近くには大きな湖が横たわっていたりと景色も日本人好みだ。
 しかしそれをさらに上回る大理最大の魅力は、この町に住むペー族という少数民族の存在だろう。漢字で白族と書くように肌の色がけっこう白く、さらにはなかなか美女が多くて日本人好みらしい。日本食レストランも巧妙で、美人ばかりを揃えて日本男子が来るのを待ち受けている。確かに長居したくなる町だ。
 さすがに沈没地だけあって、中国語を巧みに操る日本人が多い。噂によると、こういった日本食レストランの店員と話をしているうちに覚えるのだという。これまで訪れた沈没地の中でも、現地語がうまく話せる率は大理が一番だろう。本当に下心はないのか?

観光したくなる? 大理
 沈没地としての資格は十分な大理。さて観光の方はどうだろう。大理最大の見どころである三塔を訪問してみる。その名の通り三本の古い塔が建っていて、大理のランドマークというか象徴というか、まあそんなような存在である。
 まず観光客を迎えるのは、よそ者を威嚇するかのようにそびえるやけに巨大で真新しい門である。この門をくぐると正面に三塔が建っている。三塔は西暦800年代に作られたものという歴史的建造物だ。ただし古すぎて、3本ともなんか傾いているような。ガイドブックによると度重なる地震で傾いてしまったらしい。
 メインの三塔を見終わっても背後にはさらに道と建物が続いている。広い敷地をフルに生かし、観音殿やら公園やら建物やらやたら新築してあるのだ。もっとも、本筋とはあまり関係なさそうな施設群である。
 最深部の観音殿に至る広い道が通っていて、中国映画で皇帝が登場するときに流れてきそうな壮大なBGMがかかっている。そしてなぜかこのBGMに合わせ、前方から大量の小学生たちがわき出てきて自分の方に向かって走ってくるではないか。ガキを使ってまで派手な演出をする国なのか。映画のワンシーンに紛れ込んだかのようなシチュエーションに感動する私を小学生たちはまるで無視して通過してゆく。単に時間がないから走り出しただけのようである。
 脇の方に小さな池があり、立て看板には遊泳禁止というようなことが書いてある。こんなせこい池で泳ぐアホはいないよとせせら笑っていると、この池、水深1.8メートルもあるらしい。いくらなんでもそれは深すぎだ。なんで寺の中のこんな地味な池をそこまで深くする必要があるのだろう。
 三塔の近くには、三塔が池にきれいに映る三塔傾影公園もある。静かな水面に三塔が映るという、逆さ富士のような観光スポットらしい。もちろん行ってみるが風が吹いていて水面は静かではなく、映るもいまいちだ。近くの中国人に、もらった入場券の写真と違うと冗談で怒ってみせると、そんなことは無視されてロープウェイの勧誘をされた。公園でカモを待ち受けていた単なる客引き中国人なのだった。
 三塔の他には、ペー族の古い町並みが残るという喜洲という村にも行ってみるが、ドクターホーを擁する白沙ほどのインパクトはない。大理では、町でのんびりするのが最善の策かもしれない。
 ちなみに大理は大理石の語源となった産地らしい。山水に似た模様の石にうまい文句を彫り込んだ土産物が売られているが、何にも見ないただの模様にまでこじつけで文字を入れて売っていたりする。あんなものが売れるのか。

 大理石の模様 形には見えない(実際に使われている品)


中国が誇る寝台バスの性能
 大理の次は、中国とミャンマーの国境の近い瑞麗という町に行ってみる。列車など通っていないので、移動手段は夜行の寝台バスになる。この寝台バスというのは、その名の通り座席が寝台になっている中国独特のバスである。横になって移動できるので中国では豪華バスの部類にはいるらしい。
 ところが寝台バス、しきりのないひとつの寝台にふたりの人間が寝なければならないのでやたら狭い。さらに、中国人は常に革靴を履いているので、靴を脱いだ際の足のニオイが強烈にクサく、それも不快さに拍車を掛けるなどなにかと評判が悪いバスである。もっとも、最近はさすがにひとつの寝台にふたりというタイプは消えつつあり、ひとり用の寝台が3列並ぶタイプが増えている。いずれにしても狭いことには変わりない。中国人にとっては豪華でも、我々外人旅行者からすれば悪夢の移動手段である。
 座るタイプのシートでも十分眠れるはずなのに、なぜわざわざこんなものを作るのだろうか。思うに、バスの基本的性能があまりに悪すぎて、シートに座って長距離移動するのがとてもしんどいのだろう。日本人などはバスの性能を向上させることを考えるだろうが、中国人はシートを寝台にしてバスの性能の悪さをごまかしているようである。いかにも中国らしい場当たり的な発想である。
 用意周到にも前日のうちに3列寝台の新しいバスであることを確認してチケットを購入した私。前日からチケットを買う人間などいないらしく、一番乗りである。そして当日になって意気揚々とバスステーションで乗り込んでみれば、なぜかふたりずつ寝るボロボロの寝台バスに変わっているではないか。しかも瑞麗行きバスは数台あって、自分の乗るバス以外はすべて3列寝台のバスである。わざわざ早めに買ったのが裏目に出たか。
 みずからボロバスに飛び込んだ形となり、悲しい気分になる。しかしいくらなんでもひどすぎるので、チケット売場で替えてくれと交渉してみる。筆談で「狭いから替えて」と頼んでみると、あっさりとバスを交換してくれた。さすが中国、筆談で意志が通じるところが他の国とは違う。イランだったらまたここでひと騒動あったところだ。
 狭いながらも個人スペースを確保して落ち着く私。ようやく出発である。しかしエンジン音が不吉なまでにたどたどしい。道は強烈なまでの悪路。そして追い打ちを掛けるのが貧弱なサスペンションである。市内の舗装路でもがたがた揺れるほどの低性能ぶりで、寝ていても振動がひどくて落ち着かない。バスに乗っているとそこかしこで給水所を見かけるのだが、これはバスの上に乗せたタンクに水を補給するためにあって、ときおり停まって水を買っている。そんなに大量の水を消費するエンジンというのも日本人の感覚では理解しにくい。この中国製バス、いったいどんな構造になっているというのだ?
 夜中にバスが停まったのでなにかと思うとさっそくエンジン故障である。発展途上国の夜行バスには無駄に多いスタッフが乗り込んでいてうっとうしいのだが、ここ中国では彼らが総動員してエンジンを修理していた。連中も慣れているようで、持ってきたいかつい工具箱を開けて修理している。評判通りの故障が多い中国バスである。
 一時間ほどしてようやく動き出す寝台バス。2時間ほど経ってまたバスが停まる。今度は修理屋でエンジンを見てもらうようだ。給水所とともに中国の道ばたでよく見かけるのが自動車の修理屋で、なぜこんなにたくさんあるのかと思ったら、単純に車がよく壊れるからなのだった。修理屋も24時間体制である。
 こうしてエンジントラブルを乗り越えようやくの思いで瑞麗にたどり着く寝台バス。いくら寝台に横になっていてもくたくたである。固い座席だったら立ち直れないほど疲れているかもしれない。頼むから長距離バスくらい外国から買ってくれ。

無法な国境の町
 国境の町というのはどこでも怪しげな雰囲気が漂っていて活気があり、わりに居心地がよかったりする。ここ瑞麗はミャンマーとの国境に近いため、自治州の住民であるタイ族などの少数民族がいるほか、ミャンマー人やパキスタン人なども多い。ひさしぶりにパキスタン人を見ると、その顔の濃さにちょっとひいてしまう。
 瑞麗は他の国境の町と同様、どさくさに紛れて違法な行為が堂々と行われていたりする。たとえば夜に町を歩けばロータリーに化粧の濃い女性が立っていてしきりに声を掛けてくる。彼女たちは察するにミャンマー人女性で、浅黒い肌を隠して中国男性に声を掛けるため皮のように厚く化粧を塗りたくって誘っているのだろう。
 昼間に市場周辺を歩けば、今度は白昼堂々の賭博行為である。トリなどの絵が描かれたさいころを3つ転がし、その目を当てるシンプルな賭博をしきりにやっている。さいころを転がすのは賭けている本人なので、いかさまを仕掛ける余地はなさそう。とはいえこんなの当たるのか。ミャンマー人っぽい貧乏そうな連中は少額ずつ賭けているが、小金を持っていそうな中国人風がそれなりに大きい額を賭けていたりする。そしてたいがいはずれ、胴元のおばさんが無表情に彼らの掛け金を奪ってゆくのだ。

 賭博の群衆 賭博行為に群がる人々

 こういう辺境の地は監視の目がゆるいからこれら違法行為がまかり通っているのだろう。ところが、市場で飯を食っているとなにやら大きな音がして、見てみるとさいころ賭博が一斉に片づけられている。そして胴元たちが逃げているではないか。ひょっとしてガサ入れか?
 こんな遊びみたいな賭博でも摘発されるのだなあと感心していると、捕まる方も慣れていて、私が夕飯を食っている飯屋の戸棚の中にさいころを隠したりしている。賭博セットは折り畳み式なのですぐに移動できるのだ。
 けっきょくこのときは摘発ではなく、近くの市場で発生した火事に出動した消防車か公安の車を摘発と勘違いして逃げ出しただけだった。
 ちなみにこの火事を見ようとやたらヤジ馬が駆け出している。子供を背負ったデブおばさんが懸命に走っていたりとみんな本気だ。自分も一緒になって向かうと、現場には100人はいそうなほど大量のヤジ馬が楽しそうに火事を眺めている。まったくのんきな連中である。とはいえ現地人に混じって火事を見物するのは楽しいし、変に統制されてなくて健全な行為ではないだろうか。

交通戦争勃発
 急速に発展しすぎる国はどこかいびつな部分が出てくるものだ。中国の場合は移動手段に現れている。この国は交通事故がやたらに多い。交通マナーというか交通ルールというか、そういったものの意識がいまだに薄いのにもかかわらず高性能な車やスピードが出せる舗装道路が手に入ってしまい、結果的に交通事故が多くなっているようだ。
 たとえば信号。赤信号でも歩行者や車がいなければ曲がれる車線があることはアメリカなどと同様である。日本式にいえば、赤信号でも安全なら左折できるような感じである。ところが中国の場合、可能なときに曲がるのではなく、いつでも曲がっていいものと解釈しているので歩行者があろうがなんだろうがつっこんでくる。そのため、歩行者が前方が青になって横断歩道を渡っていてもひかれそうになる。こういうルールは、人命尊重の精神が生じた先進地域で導入してこそ意味があるのであって、中国のような国では死人が増えるだけである。
 バスに乗っているとやたら事故に遭遇する。バスに乗る前に、チケットとともに傷害保険の代金を払わされるくらいだから事故が多いのだろう。瑞麗から保山へ向かうバスに乗ってほどなくして、自動車とバイクがぶつかった事故現場を通る。バイクの男性はいまだに倒れたままだった。
 保山から昆明に向かう途中、あと少しで昆明というところで道が渋滞して動かなくなった。かなり時間を食ってようやく走り出してみると事故であった。トラックと軽乗用車の事故である。まったく迷惑な連中だと思ってしばらくすると、今度は反対車線でまた事故が起きている。今度はトラック同士の事故だ。
 なにが悪いかといえば、たぶんドライバーが自分のことしか考えず他人を尊重しようという気持ちなどまるでないからだろう。道を渡っている自転車に向かってタクシーがつっこんで行き、自転車がかろうじてよけて助かったという光景も見かけた。後進国では車にしろバイクにしろ性能が悪いので、意識が低くてもなんとかなっているのである。意識は低いのに持っているものは高性能、なんとかに刃物、中国人に車である。

なにが本場だ中華料理
 中国は食事がおいしいなどとよく言われるが、そんなものは世界3大料理という言葉に惑わされているだけに過ぎない。少なくとも雲南省の庶民が食う汚い食堂で食う料理はかなりまずい。ハズレ食堂にばかり行ってしまっているからかもしれないが、そうだとしたらハズレだらけ。日本のはやらない中華屋のオヤジが自信を回復しそうなくらいのまずさである。
 瑞麗の食堂で餃子とチャーハンをオーダーしてみる。出てきた水餃子は本日のおすすめと看板に書いてあったが、大しておいしくもない。次はお待ちかねのチャーハンである。作るのは店のオヤジ。いきなり玉子を一番先に炒めて皿に取りだしている。そしておもむろに野菜を切り始める。そんな作り方がだめなことはいまどき日本人でもわかる。しかもオヤジの手つきがやけにおぼつかない。
 そしていよいよ火入れである。中国では路上のせこい屋台でも中華鍋を振っていて感心するのだが、このオヤジは鍋を持ち上げもせずただかき混ぜるだけだ。まるで日曜日に亭主がチャーハンを作っているような手つきである。しかもオヤジが手を離す間は客がかき混ぜているではないか。こうしてオヤジと客の合作となった瓜入りチャーハン。客人ふたりがひとくち食べて「いい」「いい」と感想を漏らす。キャンプ場で男たちが作った料理をおいしいおいしいと納得しながら食べているような雰囲気。まさに男たちの手料理である。
 極めつけは、この友人風のふたりの客の分だけチャーハンを作ったあと、私の方を向いて「お前はなにを食うんだ?」と訊いてくるのだ。もちろん、こんな素人オヤジなど見限って別の店であらためてチャーハンをオーダーしたことは言うまでもない。
 昆明の食堂で自分が知るただ3つの中華料理のひとつ、ホイコーローを頼んだときのことだ。看板に書いてあるので間違いないだろうと待っていると、出てきたのは唐辛子で味付けしたチャーハンである。豚肉が入っているところがかろうじてホイコーローに似ていると言えなくもないがなぜ飯が入っているのだ? これがホイコーローかと文句を言うと、向こうもこれがそうだとばかりに開き直る。宿にいた日本人にこの話をして、あらためて別の店に食いに行くと、今度もイメージとはまるで違う謎の食い物が出てきた。しかもまずい。
 他にも、昆明のとある店で玉子チャーハンをオーダーすると、具には本当に玉子しか入ってこないし、米がひからびていてかちかちになっていた。チャーハンという単純な料理がどうしてここまでハズレばかりなのだろう。他の東南アジア諸国で食べてきたチャーハンの方がおいしかったし、もちろん日本で食う方が断然おいしい。
 概して庶民の食う料理は油っぽくてくどい。そしてよく腹をこわす。腹をこわしたあとにはまったく食欲がなくなってしまう。これまで訪れた国の中で、イランに次ぐ苦労ぶりである。これだけ食べ物に困ると、食の国に来ているとは到底思えない。風邪で体調を壊してからは特に食欲がなくなって困っている。ハンバーガーっておいしかったなあとやけにバーガーキングを懐かく思ってしまう。
 ついでに、雲南省で小麦系の麺を食ってはならない。麺自体がまずいしのびているのでインスタントラーメンの方がまだおいしく感じるくらいだ。昆明のバスターミナルの食堂で麺を食ったら恐ろしくまずい。他の日本人に聞いても麺がまずいと話していた。東南アジアを回っていてこれだけ麺がまずく感じたことはなかったのにどういうことだろう。

さえない動物園で人民観察
 中国に入って少し経ち、中国人たちの行いが目に付くようになってきた。とにかくマナーというものがない。バスの中が特にひどく、平気で車内に痰を吐くし果物の皮を捨ててペットボトルの水で手を洗う。禁煙と書いてあるので喫煙者を注意しようと思っても、乗客のほとんど全員、そしてドライバーまでがタバコを吸って車内に灰を捨てているのでどっちが正しいルールなのかわからなくなってくる。若い女性がかーっと痰を吐く光景など日常茶飯事だ。
 バスなど狭い空間で一緒にいるから汚い行いに腹が立つが、ひとつの観察対象として眺めるとそれなりに楽しい。そこで、旅人に教えてもらったおすすめスポット、昆明動物園に行ってみることにする。動物園だけでなく、訪れる人民が興味深いらしい。
 昆明市民の憩いの場所である昆明動物園は、動物園自体は大したことがない。敷地ばかりはやけに広いのに動物の数がそれほど豊富ではないのだ。最初の動物はあのパンダ。期待に胸を膨らませて行くと、いきなり大股を広げてごろ寝している小汚いパンダの姿が目に入る。本場中国で出会った初めてのパンダがこれである。まあ、愛嬌があるといえばそう見えなくもない。

 寝るパンダ だらけるパンダ。足は短い

 そんな下品なパンダを感情乏しくじっと見つめるのは現地のおばあさんである。「こんなもんかねえ」という感じでなにか言って去ってしまった。日本では子供たちに人気のあるパンダも、ここではおばあさんに冷ややかに見つめられるだけの存在のようである。
 日本の動物園のように金を掛けているわけではないようで、おりなどもあまり立派ではない。ゾウが飼われている場所に行くと、ゾウがなぜか銅のように赤い色をしている。地面の赤土にまみれてこんなに赤くなっているのようである。昆明の子供たちが「ゾウは赤い動物」と勘違いしないことを祈るばかりだ。
 動物園に行っても、たいがいの猛獣は夜行性なのでだらだら寝ている姿しか見られない。ここ昆明動物園でもその状況は変わらない。そんなとき人民はどうするか。
 トラのおりの前で人民オヤジが奇声を上げてトラを挑発している。トラが奥の方でごろごろ寝ているので動かそうとしているらしい。オヤジ、つばを吐いたり手を叩いたり叫んだりとやりたい放題。しかもそうするのはひとりではなく、同じような行動をとる人民が何人もいるのだ。おとなしくトラの休息する姿を見られないのか。
 ベンチに座って休んでいると、人民かと思う3人組のおじさんおばさんたちが近づいてくる。話し声を聞いていたら名古屋人であった。しきりにパンダの悪口を言ったり、ひとりが「東山公園の遊歩道、なんもおもしろない」とやけにローカルな話をするので笑いをこらえるのに苦労した。パワフルなのはなにも人民だけではなかった。
 昆明動物園には別料金で水族館もある。片隅の水族館の入り口には、ワニや小鳥のショーの内容を紹介する写真が貼られていた。「人鰐同睡」「人鰐結吻」「人鰐握手」「鰐口抱宝」など四字熟語でワザの名前が書かれてなんとなくかっこいいのだが、写真に写る演技者が変な赤い服を着たスキンヘッドオヤジでやけにうさんくさい。

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中原をうかがう (中国-4 02.6.20)

 自分にとって中国は国語や歴史の時間に習った場所ばかりだ。雲南省を抜けていよいよ中国の中心地に入る。そして成都から古代中国の中心地中原へ。見どころが増えて、ヨーロッパ並みに観光地ばかりを訪問している。

三国志とパンダの里
 長かった雲南省を離れ隣の四川省に移動する。訪問するのは省都の成都である。成都といえば三国志マニアにはおなじみ蜀の都で、武侯祠という場所がマニアの聖地と化している。他にも麻婆豆腐やパンダと見どころ満載の観光都市なのであった。
 到着した初日にさっそく武侯祠に行く。写真やテレビで見たことのある光景なのだが本物となると感慨が違う。たいがいの観光地は写真と実物の比較で終わってしまうものの、マニアにとってはそこにいられるだけで幸せなのだった。

 諸葛亮 軍師・諸葛亮。なぜかオーラも漂う

 ところが、知っている建物の裏にさらに奥があり、真新しい知らない建物が建っている。説明を見ると、かの江沢民主席の号令によって近年大改装が行われたらしい。若干雰囲気が違うような気がしないでもない。それでも満足で、おみやげに日本語を操る売り子から絵はがきや三国志トランプまで買ってしまう始末。写真も撮りまくりだ。
 もうひとつの名物、パンダに会いに行くために成都動物園にも足を運ぶ。パンダ以外は眼中になく、まずパンダ館に行く私。周りには笹を生やしてあったりとムードもばっちり、成都人に混じって足取りも軽くパンダ館を目指す。さすがもっとも有名なパンダ館、施設も広くて環境が良さそうだ。ところがそこにいるのは小汚いパンダただ一匹のみに過ぎないではないか。しかもパンダ館がでかすぎて近くで見ることができない。昆明動物園の方が間近で見られる分まだマシだった。

 パンダ パンダである

 パンダの他にもレッサーパンダが見られることで有名なのだが、こちらもおりには一匹だけ。がっかりしていると人民が空を見上げる。レッサーパンダが2匹ほど木の上に登っているのだった。それだけかよ。パンダは上野に限る。

四川料理にチャレンジ
 成都にはパンダの他にも四川料理という名物がある。麻婆豆腐などの激辛料理を擁するのが四川料理で、中国中で人気のある料理らしい。麻婆豆腐は私も大好きなので、ぜひ元祖が食ってみたいと陳麻婆豆腐本店に行ってみた。
 麻婆豆腐と飯を頼み待つことしばし。出てきたのはこってりとした油の上に豆腐が浮かぶ壮絶な料理だった。唐辛子の辛さはまだ許せるのだが、死ぬほど入れられた山椒の味がどうしても耐えられない。山椒をよけつつ食うものの次第に涙目になってくる。なんちゅう辛さだ。山椒がなければコクのある豆腐と唐辛子の辛さが絶妙でなかなかおいしいと思う。かなり厳しい料理であった。
 昼に麻婆豆腐を食い、夜は伝統的な四川料理の小皿を出す店というのに行ってみる。10皿出てくるらしいので、リスクが分散されてどれかは食べられるだろう。ところが出てきたのは山椒味か油こってりか激甘かのどれかしかなく、メリハリが利きすぎてとてもつらい。実は前日に腹をこわしていたのでこういう料理はあまり腹に良さそうではない。ほとんど食べられないまま店を出るしかなかった。
 とある店で担担麺にも挑戦する。担担麺も有名な四川料理のひとつだ。しかし出てきたのは日本で食べるものとはまるで違う、麺に油を掛けたようなどきつい味付けの麺だった。ちょっとはつゆというものを入れてほしいものだ。
 四川料理が食えず栄養失調に陥ったのか、このあと一気に風邪がぶり返してきて寝込んでしまった。四川料理、病人が食うにはキツすぎだ。

古都訪問
 成都の次は古都・西安だ。歴史の時間にさんざん登場する、京都もマネをしたというあの長安である。これまでの中途半端な古都とは違い、今度は筋金入りの古都である。見どころもたくさんあり楽しみにしていた町でもある。
 ところが世界的に有名な都市は入場料が高くて金がかかって仕方がない。オーストリアのウィーンやイタリアのローマを彷彿とさせる、やたら徴収される入場料にうんざりだ。しかもローマ同様、学割がほとんど利かない。これではニセ学生証を持っている意味がないではないか。
 最も高いのは、最大の見どころである兵馬俑だ。これだけ高いと学割を利かせてくれと叫びたくなる。ただし内容はなかなかのもので、いままで訪れてきた観光スポットの中でも1・2を争う質の高さだ。さすがに兵馬俑である。子供の頃に地元でやった兵馬俑展に金がなくて行けなかったことも、本場で見られたから帳消しである。
 次に高いのは、かの楊貴妃が身体を洗ったことで有名な華清池である。ただし珍しく学割が利いたので一気に半額となってうれしい限り。内容の方は、楊貴妃などが昔使っていた浴槽は干上がっていてあまり雰囲気がない。大きな池の畔に巨大な女性の全裸像が堂々と立っている。たぶん楊貴妃だろう。なぜかアップで写真を撮るのがためらわれてしまう。

 撮影者 全裸像を撮影する人民たち

 もうひとつは秦始皇帝陵である。小山くらいの大きさがあり、いまだに残っているところが感動的だ。中国初代皇帝の墓なのに、斜面は果物畑として利用されているし、頂上まで登れるというのだから、日本の天皇陵よりずいぶんオープンである。息を切らして頂上まで登っても、ただの山にしか見えないが。
 さて、漢字が読める日本人なので、始皇帝陵の近くに秦陵地宮というものを発見する。確か始皇帝陵の近くに巨大な地下宮殿が造られたと文献に書かれていると社会科の時間に習ったような。となると新しく発掘された場所なのかも知れない。ということでわざわざバスを降りてこの秦陵地宮なる場所に行ってみた。
 ところが入ってびっくり、中は縮尺もいいかげんな単なるジオラマではないか。うーんこれは騙された。ほとんど見ないまま階段を下りる私。階段は地宮に向かうと表示されている。こっちは本物か? 地下に降りると通路は細く薄暗く、脇には死にそうな人をかたどった不気味な人形が転がっている。これはお化け屋敷かと思ったら、内部は始皇帝陵の墓所を勝手に脚色して再現した壮大なジオラマであった。悲しくなるほど力の抜ける展示の数々に即退出となった。
 よくよくガイドブックを読むと、始皇帝陵の地下に地下宮殿が造られていて、そこはいま発掘中ということだった。ということで単なる勘違いだった。中国に来るなら歴史の授業はまじめに受けるべきである。
 ついでに、秦陵地宮の近くには世界八大神秘を集めたらしいアトラクションがあるのだが、建物が崩壊寸前のピラミッドと、そのピラミッドから生える上半身だけのスフィンクスなのである。さすがにここまでちゃちいと中国人すら見向きもしない。ラスベガスのピラミッドと比べると悲しくなるほどの出来映えであった。

中国の麺がまずい理由
 中国の南を旅していると、とにかく麺のまずさにうんざりさせられる。日本人と会うとたいがいその話になり、日本のラーメンが一番おいしいという結論に達する。中国の麺は味自体がおいしくないし、のびすぎていて腰がまるでないのだ。カップラーメンの方がうまいと言い切る日本人もいたくらいだ。
 中国人はやたらにカップラーメンを食う。方便面と漢字で書くとおり便利なので、列車に乗ると朝から晩まで中国人はカップラーメンを食っている。自分もつられてカップラーメンばかり食っている。桶面という、まさに桶のように大きなカップに入ってくる迫力がある麺がお気に入りだ。
 さて、何度か列車に乗って中国人とともにカップラーメンを食っていると、なぜ中国の麺がまずいか納得させられることになる。
 中国人がカップ麺を食っている様子を見ると、お湯を少なめに入れる人が多い。ただでさえ濃いスープなのに、ほとんど薄めずに食べて問題はないのだろうか。日本でいうところの焼きそばのようなインスタント麺があって試してみたが、調味料の味がかなり濃い。お湯を入れたらそのままスープになりそうなくらいだ。
 とある列車の昼どき。車両に乗る中国人たちが一斉に手持ちの麺のふたを開けて湯を入れる。自分も給湯器の列に並んで湯を入れた。はす向かいのオヤジも自分とほぼ同じ時間にお湯を入れる。私は5分ほどで麺を食い始めたが、オヤジはじっくりと寝かす。私が食い終わってもまだオヤジは果物や他のものを食っている。30分経ったらどうか。それでもオヤジは手を着けない。さらに1時間経過。そろそろオヤジもそわそわし始め、カップの表示を見たり横から眺めたりする。しかしまだふたは開けない。そして1時間15分ほど経って、ようやくオヤジは麺を食い始めたのである。
 列車に乗っていると、食い残したのかと思うような麺満載のカップが放置してある場面に遭遇する。これは食い残したのではなく、まだ手を着けていないだけなのだ。しばらくしてから誰かが帰ってきて麺を食い始める。このオヤジは極端かもしれないが、中国人は濃いめのスープで、確実にのびすぎた麺を好むようだ。これでは腰のある麺など食えるわけがない。

洛陽の高層安宿
 西安の次はこれまた本格的な古都の洛陽である。西安から洛陽までは近いので、列車で楽に移動できる。到着した駅前にそびえる18階の高層ホテルが今回泊まる安宿である。
 相部屋がほとんどの安宿と聞いていたのに、レセプションで聞くとドミトリーはないという。余計なことになにかの会合を開いていて、それに重なってしまったらしい。なんとかシングルを値引きして泊まることにする。金を払ってエレベーターで12階へ。
 12階とは今回の旅でも最も高い位置にある部屋だろう。安宿がそんなにでかいというのもかなり珍しい。ただしフロアに降り立って安さを実感する。とにかく汚く、ボロい。日本だったら廃墟に紛れ込んでしまったかと思うような汚さだ。案内されたシングルはやけに広く、他の宿だったらトリプルが作れそうなくらい。しかし部屋の中央にベッドがひとつ置かれているだけでやけに不気味だ。床は破滅的に汚れているし、奇怪なパイプも通っている。

 汚い部屋 気が滅入る部屋

 こんな上層にありながら、窓は簡単に開けられて柵もベランダもない。心に迷いのある人間が来たらまちがいなく飛び降りているところだろう。
 トイレは中国的に汚いし、シャワーはきわめてお粗末な設備で浴びるなといわれているようなものだ。しかも栓が固く、壊れていると思ったほどだ。
 こんなボロいのに18階もあると、火事など起きたらまず上の人間は焼死しそうである。少なくとも、地震が来たら終わりである。外観は立派なのに中はどうしてこんなにボロいだろう。外面だけはつくろう、きわめて中国的な安宿である。

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中国的観光スポット、そして上海 (中国-5 02.8.4)

 臆面もなく中国が誇るメジャー観光地ばかりを巡り続ける私。西安の次は洛陽、さらには少林寺にまで手を出す。べたべたの中国観光のあとはいよいよ発展する大都市、上海に入る。

関羽のテーマパーク
 洛陽は古都というものの、歴史が古すぎて昔のものはほとんど残っていない。いにしえの都はなんとなく雰囲気で感じ取るとして、この町には目に見える有名な観光スポットもある。関林という、三国志の武将関羽の首塚がそれだ。確か関羽は荊州で殺されてから、首級だけ洛陽の曹操の元に届けられていたと思う。もちろん洛陽に来た第一の目的も関林だ。
 バス停から中国らしい無機質な商店街を抜けたところに関林がある。世界各地に点在する関帝廟の元祖なのにやけに人が少ない。例によってガイドブックの情報より値上がりしている入場料を払って中に入る。
 門を抜けると大きな建物があり、その中にいかつく大きい関羽の像が置かれている。周りには関羽の部下とか息子の関平などの像が守るように立っていて、それだけで感激だ。中にあるおみやげ屋は片言の日本語を操る。日本人が多いのだろう。
 関羽を祭る建物は3つあり、それぞれに異なるポーズを取った関羽像が置かれている。一番後ろの建物など、関羽が寝ていたり読書をしていたりする。こうなるとなんでもありという感じだ。その背後に関羽の首塚がある。
 ところで、入場料を払って入る観光施設の中なのに、同じおみやげが売店によって値段が違ったりする。関林だろうがどこだろうが中国ではぼられるので注意が必要だ。

中国の魂 少林寺
 その昔、映画「少林寺」にはまって三節棍(ヌンチャクが3本になったような武器)まで自作してしまった私。その舞台の少林寺にあんがい近くまでやってきていることに気づく。そこで洛陽の次は少林寺見物と近隣の町の登封に行く。
 日帰り可能の近い場所なので安心しきってローカルバスに乗り込む。そんな不用心な私をあざ笑うかのようにボロバスはちっとも到着しない。途中で客を拾うためにやたらスローダウンするのでいらいらする。もうついてもいいはずと思うと知らない町でバスが停まり、このバスはここまでなので乗り換えてくれという。結局、登封に到着したのは4時間後の昼過ぎであった。1時間ほどで着くと思ったのに。この日は宿探しにも苦労して少林寺行きは断念することとなった。
 翌日はあいにくの雨。少林寺はすぐそこというのに乗り込んだ少林寺行きのバスがまるで発車しない。1時間半も待ってようやく出発する。しかも日本人と知るとバス代をぼろうとする。まったくとんでもないバスである。
 まずは一番遠い、達磨大師が修行したという洞窟を目指すものの、未舗装の道でおまけに雨でぐちゃぐちゃになっているので長靴でもない限り登るのは不可能だ。時間もないのであきらめてすぐに引き返し、少林寺見物に切り替える。
 少林寺も修行僧がいなければただの寺である。しかもそれほど大きくない。修行で床がへこんだというあの有名なお堂も扉を閉めてあるのでほとんど見られない。まるで意味がないぞ。
 達磨洞をあきらめた理由は、武術館で行われる少林拳法の演武の開始時間が迫っていたからだ。見た人からよかったと勧められていたので楽しみにしていたのだ。時間ぎりぎりに武術館へ行くとなにやら音楽がかかっていてかけ声が聞こえる。もう演武が始まってしまったのだ。入り口が工事中で会場が見つからず、ようやくたどり着くとすでに人でいっぱいだ。これが少林拳かと見ているとすぐに終わってしまう。えらく短いものだと思っていると、見物していた大量の白人若者たちが会場に整列し、演武者の指導で型の練習を始めるではないか。どうやら旅行社が主催する少林寺ツアーの客に遭遇してしまったらしい。白人の少林拳入門など見たくもないので運の悪さを呪って立ち去るのみだった。少林寺では日本から持ってきた傘もなくして踏んだり蹴ったりだ。

 少林寺 小林拳の型らしいがなぜかがっかりする

こんなのもある 少林寺2

 少林寺とその麓の登封は少林拳法の町で、あちこちで武術学校を見かける。登封の店で少林拳用の剣や練習着が売られていたりとそれっぽい。少年たちがこの学校に入れられ、次のジャッキーチェンやジェット・リーを目指すのだろう。少林寺付近でそんな少年たちをよく見かける。無邪気でいいのだが、肝心の練習風景をほとんど見ないぞ。

三国志マニア必見の町
 少林寺の次の町、鄭州で天気予報を見ているときのこと。偶然にもあの三国志の有名人諸葛亮が潜んでいた隆中がいまでもあるようなシーンが映る。それは襄樊という町の天気を告げているときに、周辺の観光地として映像で紹介されたのだった。ちらりと映っただけなので本当にあるのかどうかもわからないし、頼りの歩き方にはまるで載っていなく例によって頼りにならない。ところが偶然入ったCD屋の書籍コーナーで中国のガイドブックを見ると、本当に古隆中があると載っているではないか。ここから近いということもあり行かないわけにはいかない。
 当日にチケットを手配し、ガイドブックなしで知らない町に行っても中国ならなんとかなる。なにせ日本人は漢字が読めるのだ。夜行で早朝に到着、安宿は駅近くのホテルを数件あたっているうちに見つかった。今回はこれまでで最安値の10元、150円である。観光地なら町の地図も売られているのでそれを買い、あとはバスを探して乗り込むだけだ。中国はサービス過剰なので、たいがいの観光地に向けてバスが出ている。
 中国の観光地はどこもかしこも風景区に指定し、関係なさそうな施設をやたら造って派手にしてしまう。古隆中風景区も例外ではなく、諸葛亮を評した臥龍という言葉にちなんで池の洞穴にしらじらしい龍の像が置いてあったり、まるで無関係そうな道教のマークでデザインされた広場があったり、挙げ句の果てには山の頂上からすべり降りるそりがあったりする。

 臥龍 臥龍。ここまで来るとやりすぎだ

 さて、肝心の中心施設として、草堂と三顧堂というものがある。諸葛亮はこの隆中に草堂を作ってひっそりと暮らしていて、その草堂に劉備が3回訪ねてようやく会えたというのが三顧の礼という故事である。だから草堂と三顧堂が別々の建物というのも意味が分からない。なぜ2つあるんだ?
 説明を見ると、草堂は近年作られた再現モデルで、三顧堂は清の頃に作られた三顧の礼を記念する建物だった。よく考えれば三国志は2000年近く前の話である。しかも三顧の礼は創作という説もあるので本物が残っているわけがない。わかっていながらも期待してしまうし、気分も盛り上がってしまう。やはりマニアには心躍る場所だ。ただしおみやげ屋はしけていて、諸葛亮が使っていた羽扇くらいしかめぼしいものがない。三国志とはまるで無関係な安っぽい縦笛が中国人になぜか人気だ。買ってしきりにひょろろと吹いている。
 諸葛亮を祭る武侯祠の中には、各地にある諸葛亮ゆかりの場所が写真とともに紹介されている。自分が知っている場所がまだまだ観光地として残っているではないか。これをみて真剣に諸葛亮めぐりの旅を考え、一時は鉄道のチケットまで取ってしまったくらいだ。
 襄樊の町にはその名もずばり諸葛亮文化広場というものがある。ただの広場を有名人の名前にしただけかと思いきや、片隅にはあきれるばかりに巨大な諸葛亮像がそびえ立っていた。ラオスのカイソーン像よりもまだ大きい。これも最近できたばかりのようで、現代人の趣味にあった端正なデザインだ。これだけでも見る価値はありそうである。
 ところで、中国人の若い人たちと筆談していると、たまに三国志の話で盛り上がる。お互いに某社K○E○のパソコンゲームで三国志にハマっているのだ。日本が作ったゲームで中国人も三国志に興味を持つというのもおもしろい。

 お遊戯 ガキにお遊戯させる店員


だらだらする上海
 襄樊から武漢へ移動し、その次は上海に向かう。上海は中国で最も楽しみにしていた町だ。急成長を続ける中国を象徴するような大都市で、これまで抱いてきた中国のイメージとは全然違って驚くという話を聞いていた。そういう町なら見ておかなければならないだろう。
 泊まっていたユースホステルで、偶然にもインドで知り合った青年と再会する。彼は一度日本に帰ったあと、金をためて再び旅行に出るため上海に来たのだという。彼とともに新しくできた別のユースホステルに行くと、今度はイランで会ったことのある人にこれまた偶然に再会する。彼も一度日本に帰ってから、再び旅行をするため上海に来たらしい。さすがに上海は旅行の起点となる町だ。
 この新しいユースホステルは、中国のユースとは信じられないくらい快適だ。なんとトイレに扉がついているし、もちろんその扉をわざわざ開けて用を足している人間もいない。シャワーが特筆もので、打たせ湯のようにパイプからじかに湯が出てくるのではなくちゃんとシャワーになっているのだ。他の国ではごく当たり前のことだが、中国ではきわめて珍しい。
 宿にはこれから長期旅行をしようとやってきた日本人がけっこういて、朝からだらだらと話してばかり。昼間はなんとなく出かけたりするものの、夕食を一緒に食べるために夕方には宿に集結する。そして一緒に中華料理を食いに行くのだ。
 宿の快適さに思いがけず、中国のしかも上海という大都市でだらだらすることになる。私はもう旅も終盤なのでいいのだが、これから旅を始めようとする人々が最初の町でだらだらしていていいのだろうか。バンコクといい上海といい、旅の起点となる町はなぜかのんびりしすぎてしまう。旅が始まったばかりなのにいきなり金を浪費してしまいそうで危険だ。

ようやく堪能する中華料理
 中国の外食は基本的に多人数で行くもののようで、一品一品狂ったような量を盛ってくる。最初はおいしいおいしいと食べていても、半分ほど食べるとさすがにあきてきて、最後の方には気持ち悪くなって苦行のようになってくる。スープなどはたらいかと思うような入れ物に入ってきて、いくら飲んでもちっとも減らない。ということで、どんな国でもやたら食いまくる飢えた私も、さすがに中国では残してしまうことが多かった。幸いにして上海では一緒に食べに行く日本人が何人もいるので、夜は連れだって食堂に繰り出すことにしている。
 数人で行くので、ひとりの時とは違って肉、野菜、スープなどといった数種類のオーダーも可能だ。中華料理に詳しい人もいて、いろいろバリエーション豊かな料理を注文する。おかげでようやく上海に来て食事が楽しめるようになってきた。上海料理の味付けも日本人の口に合うようだ。
 上海の食堂はどこに入ってもたいがいおいしい。だから自然と食欲が増してきた。腹が減ることはいいことだ。値段もそれほど高くないので大量に食べることができる。
 宿の近くにビールが無料で飲み放題の店を発見し、そこにはちょくちょく行っている。タダをいいことにビールを飲みまくるのだが、そのうち冷えたビールがなくなってしまう。嫌がらせで生ぬるいビールが出されているのではないかとみんなで勘ぐったりもする。

上海の下町
 上海は急激に発展しているようで、あらゆる意味で現代中国を象徴する町だ。あちこちで建物を壊して更地にして、次々と新しい建物が建てられていたりする。繁華街の南京路や淮海路は、中国とは思えないほど整備された通りだ。上海を象徴する区域としてよくテレビに出てくる浦東新区など、手塚治虫の描く未来都市のようなビルが本気で建てられている。本当にマンガみたいな町並みなのだ。設計者は酔っぱらっていたのか実験だったのか、とにかくやりたい放題だ。

 未来都市上海 本当にこんなのでいいのか上海人

 ところが少し通りから外れただけで古めかしい建物が増えてきて、中国らしいごみごみした商店街などが姿を現す。路上では食材となる野菜や魚、さらにはカエル、ザリガニ、ハト、ヘビといったモノまで取り引きされている。
 豫園という庭園の近くに、昔ながらの上海の町並みが残った地域があり、観光客に人気がある。中心部は観光地となっていておみやげ屋が多く、雰囲気はあまりないものの、少し外れると普通に上海人が暮らしている地域となる。このあたりのごちゃごちゃした雰囲気が気に入り、ちょくちょく豫園周辺を散歩している。
 町並みは昔の日本を思い出させてどこか懐かしい。大阪の下町のような雰囲気も感じられる。田舎の昔ではなく、都会の昔の姿なので、よけいに興味がわいてくる。ただ風景を見ているだけではなく、違法コピーCD屋や2元(30円ほど)ショップがあったりして、ショッピングまでも堪能できるのだった。
 ちなみに浦東新区では懐かしいヤオハンのマークを見かけた。ヤオハンの象徴的店舗だった上海店だけはいまだに営業しているようだ。倒産した我が故郷のスーパー、ヤオハンのマークはここ上海でかろうじて生き残っているのであった。

公園に置かれる謎の健康器具
 魯迅の墓がある魯迅公園は上海市民の憩いの場で、思い思いのスタイルでくつろいでいる。アコーディオンを弾いて歌う人や、なにか古い民俗芸能のようなものをやる人などが趣味を披露しているかと思えば、突然本格的な混声合唱が藪の向こう側から聞こえてきて驚いたりする。
 公園の真ん中あたりに奇妙な動きをする中国人がいる。行ってみると、そこには日本でいう遊具のような健康器具が置いてあって、子供から年寄りまでがその健康器具を使って健康増進にいそしんでいるのだ。よくテレビで見かける足を交互に動かす健康器具とか、いまは懐かしいツイスター運動とか、大きな円盤を両手で回す意味不明の健康器具などいろいろある。
 これらの健康器具を爺さん婆さん、さらには買い物帰りのような普通のオバさんが無表情に、しかも淡々と使っているのがやけに不気味だ。やはりやるならテレビショッピングに出てくるマッチョアメリカ人のようにニヤニヤ笑いながらやってほしいものだ。
 それにしても、ボートこぎ運動の健康器具を若い女性が一生懸命にやると卑猥に見えるのはなぜだろうか。

 健康器具 爺さん婆さんも励んでいる


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これがあの北京 (中国-6 02.8.5)

 上海の次はいよいよ北京に向かう。オリンピック開催も決まり勢いづく社会主義国家中国の首都である。現在、オリンピックに向けて北京の大改造を行っているといううわさを聞く。それにしても、この国のどこが社会主義国家なのかいまだにわからない。さすが中国人、都合よく主義も作り替えてしてしまうようだ。

一国の首都
 北京駅を降りて北上すると、北京を東西に貫く大通りにあたる。これが北京のメインストリートで、ホテルやオフィスビルなど大きな建物が威圧的に並んでいる。とにかくやたら広くスペースをとってあり、芝生などがきれいに植えられている。恐ろしくきれいで立派な町、というのが北京の第一印象だ。
 王府井という北京一の繁華街を歩くと、立ち並ぶ百貨店やショッピングセンター、商業ビルなどがとても立派で驚いてしまう。町をゆく若い女性たちもけっこうおしゃれだし、売られているものもブランドものが多くて高そうだ。
 国の中心はやはり天安門広場だろう。この国の国会にあたる人民大会堂が広場の横にあるし、正面には天安門、広場の中心には毛沢東の墓もある。でかくて広いという印象がこの天安門広場周辺でも感じられる。
 とはいえこれらの立派な町並みも、どこか無理をして維持しているように思われてならない。メインの大通りを歩くと、中国では奇跡に近く、ほとんどゴミが落ちていない。ひょっとしてゴミを落としたら公安に捕まるのかもしれない。あまりにきれいすぎてかえって不気味なのだ。芝生に水をやる装置は道にまで水が飛んでくるので、うかうか歩いていると濡れてしまう。人より芝生の方が重要なのか。
 天安門広場はあの天安門事件の舞台ということもあり警備が厳重だ。広場のあちこちに公安がいるし、監視カメラ付きの車が静かに停まっていてたぶん不審な奴を監視していることだろう。写真を撮っていたら公安に声を掛けられたりもした。
 大きな通りから少し外れればそこはいきなり古い町並みとなる。北京独特の民家ということだが上海よりさらに古めかしい。道を通すためにそこかしこでこれら古い町並みを壊している。宿のすぐ近くの道も工事をしていて、毎日すごい砂ぼこりだ。
 古くさい町の、ある特定部分だけが異常にきれいにされている、それが北京という町の本質かもしれない。これからはオリンピックに向けてさらに開発されてゆくのだろう。ある日突然、ここは再開発するから立ち退けと命令が下るという噂もある。社会主義国家だからこそできる、無理矢理な再開発である。

 再開発 あちこち再開発されている


王道な北京観光
 北京は中国観光のメッカのようで、前門という古くからの庶民的エリアには中国人向けの安宿と食堂、おみやげ屋がたくさん並んでいる。庶民的な場所のわりに他の下町のような落ち着きが感じられないのは、観光客相手に商売をしているからだろう。そんな中国人観光客も私のような外人観光客も、目指す場所はだいたい似ている。まずはあの天安門だ。
 やはり中国の中心がこの天安門だろう。北京からのテレビ中継といったら天安門前でしゃべる特派員という印象が強い。毛沢東の肖像画の実物を見られて感激だ。金を払うと上に登ることもできる。眺めはそれほどよくないが。
 その背後にあるのは紫禁城、故宮である。巨大な王宮はなかなかの迫力だ。ラストエンペラーを見直してから訪れたらさらに感激も増していたことだろう。ただしやたら広いのでかなり疲れる。おまけに異常なまでの暑さ。のどが渇いたので市価の倍以上もする水を仕方なく買う。高いだけあってオリジナルモデルらしく、ずばり名前が「故宮紫禁城」だ。渋いのもいいがもっと安くしてほしいものだ。
 故宮をみたあとはさらに裏にある景山公園に登る。小山の上に展望台があり、故宮を見渡すことができるのだ。こんな巨大なものがまだ残されている中国。人民はうっとうしいけど文化はすごい。

意外にハードな長城
 故宮や毛主席記念堂、天壇など中心部のメジャー級観光地を見たあとは、郊外の観光地に足を伸ばす。なんといっても有名なのは万里の長城だ。早起きしてバスで長城の中でも有名な八達嶺長城を目指す。
 午前中の早い時間にもかかわらず長城は人がやたらいる。中国が夏休みに入ったため、やたら学生の団体が多いのだ。まずは無難に人の多い方に向かってみようと思うが、あまりに人が多すぎて思うように歩けない。人が少ない逆方向に歩くと今度はかなりの急斜面だ。
 長城は山の尾根沿いに作られているので、ここを歩くことは登山をしているようなものだ。汗をかきながらひたすら歩く。そのうち人もほとんどいなくなり、端にたどり着く。そこから先はまだ修復していないので立入禁止となっている。ボロボロになった長城がそこからさらに先に伸びていて、ずっと遠くの山の稜線まで続いている。本当に延々と長城は続いているのだ。ただし修復していない昔の長城は観光用の新しい長城より幅が狭いように感じる。ちょっと立派に作りすぎたのではないか。

 八達嶺長城 うねる八達嶺長城

 八達嶺長城の次は、同じく長城の居庸関に向かう。八達嶺で聞くと居庸関に行くバスはなく、タクシーで行くしかないという。半ばあきらめて市内行きのバスに乗り、金を徴収しに来たオヤジに紙を見せるとどうやらそこでバスを停めてくれるらしい。日本人だということでなぜかバスの中が盛り上がったりする。珍しいのだろうか。
 居庸関は難攻不落の関所で、谷にある関所を囲むようにぐるりと城壁が巡らしてある。その斜面は八達嶺以上にきつく、死にそうになりながら一番上を目指す。万里の長城のようにずっと続いているのではなく、関所を囲むようになっているのでひたすら歩けば一周できることになる。ヒマだったので一周してみたが足が痛いし日差しが強いのでもう勘弁してくれという感じだ。他の観光客は誰も一周などしていない。
 それにしてもいかつい関所だ。確かにこれではなかなか攻略できないだろう。ただし、下の関所から上の城壁まで行き来しなければならなかった昔の兵士には不人気な場所だったに違いない。
 ちなみに長城再整備の工事に駆り出されたのはかの人民解放軍のようだ。そうでもなければそう簡単にこんなすごい城が再現できるはずがない。中国伝統の人海戦術によって整備されたのだろう。

パンダ 三たび
 中国といえば何をさしおいてもまずパンダである。これまで昆明、成都でパンダを見に行ったものの、どちらもさえないパンダの姿しか見ることができなかった。もっと愛くるしいパンダの姿が見てみたい、中国は本場ではないか、そう考えた私は中国最大といわれる北京動物園でリベンジをはかることにした。
 その日は狂ったように日差しが強かった。連日北京は40度近くまで気温が上がっているらしい。湿度が日本より低い分、40度という高温を感じずにいるが、日差しの強さだけはちょっと耐えられない。入り口で金を払うと大熊猫館は別料金となっている。別途金を払うのだからパンダがごろごろいるに違いない。期待してパンダを見にゆく。
 ガラス張りのパンダ館に入ると人だかりがある。パンダに違いない。カメラを構える人もいる。そして北京で見た初めてのパンダは、尖ったところで懸命に尻を掻くまぬけな姿だった。よっぽどかゆいのか、真剣に尻を尖ったところにこすりつけている。その腰つきが多少卑猥な感じがしないでもない。子供が見たらどう思うのだろう。
 隣の人がしきりに写真を撮っているのでふと見ると、奇遇にもベトナムで会った日本人男性だった。なぜか美人の香港女性を連れている。彼は大理でも見かけたが、そのときも別の女性を連れていたぞ。関係ないけどうらやましい。
 パンダは他にもう一匹しかいないし、その一匹を見ているうちにさっきの尻掻きパンダは引っ込んでしまった。実質一匹。昆明や成都とまるで変わらない。暑かったからあまり出していないのだろうか。期待させておいてけっきょく大したことがない、なんか中国の本質をついたようなパンダであった。

安物買いの銭失い
 中国は物の値段が安いのでついついよけいなものを買ってしまうが、気をつけないと結局使えないで捨ててしまうことになる。はじめの方に買った、水が漏れる水筒がいい例だ。3元(45円ほど)と安いのだが熱湯を入れるとよく漏れる。
 北京の人がよく買い物に訪れるという繁華街の東単の一角に、若い人向けに安く服を売る商店街がある。ここでTシャツを買ったのだが、わずか2日で脇がほつれてきた。持っていた裁縫用具で縫ってはみたものの、今度は反対側の脇がほつれてきたし、一回洗ったら肩のところが修復不可能に切れてしまった。悲しいがゴミ箱行きである。
 おいしいお茶を手に入れるべく、王府井のちょっと良さそうなお茶屋に入る。気楽に入ったものの、各国首脳が訪れた写真が貼ってあってあんがい高級な店らしい。値段も高級で、信じられないような高い値段が付いている。そんなものは買えないので安い茶葉を買うことにした。安いのに試飲までさせてくれたし、応対してくれた女性が丁寧だったので思わず買ってしまった。でもさすが安いだけあってちょっと物足りない。
 上海では1元で耳掻きを買ったが、柄が短すぎて使いづらく、ほとんど使っていない。5元のサンダルは1週間でひもが千切れたし。やっぱり金がかかっても多少はいい物を買った方がいいという、ごく当たり前の教訓をあらためて学習するのだった。

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北との国境の町 (中国-7 02.8.5)

 中国最後の町は丹東という、北朝鮮との国境の町だ。国境の町としては中国最大ということで、国境にありがちな怪しげな雰囲気はあまりなくちょっと拍子抜け。大きなスーパーもあってそこらの地方都市より便利かもしれない。快適な辺境都市で旅情を味わう。

北朝鮮を望む
 鴨緑江という川を挟んで丹東の反対側には北朝鮮の町、新義州市がある。川岸にある鴨緑江公園が北朝鮮見物の中心地で、北朝鮮ぎりぎりまで行くモーターボートや遊覧船の乗り場があったり、北朝鮮の札や切手を売る売店、記念撮影のポイントなどがある。特にその気はなかったのに、散策しているうち気がつけば遊覧船のチケットを買っていた。
 平日ということもあるのか、狭い船ぎゅうぎゅうに客が詰められて遊覧船は出発する。船足が遅いためかあまり北朝鮮側に近づかないものの、雰囲気は味わえる。レンタルの双眼鏡で熱心に北朝鮮を見る人もいる。なんの意味かわからない観覧車のようなものがあったり、ちょっと大きめの建物があったりする他は大した見どころもない。中国側の建物群がやけに立派に見える。
 中国と北朝鮮を結ぶ橋がふたつあって、ひとつはいまでも列車と車用として使われている。もうひとつの橋は朝鮮戦争時代に米軍によって破壊されて北朝鮮側がなくなっている。今ではこの橋も立派な観光地となっていて、北朝鮮に最も近づけるポイントとして人気がある。ここのレンタル望遠鏡で北朝鮮側を見ると、意外にもごく普通ののんびりした町の雰囲気を伺うことができた。ただし、隅の方には公安らしき人物が見受けられ、中国のモーターボートが近づいてもあまり反応しない。
 出発は同じような社会主義の国ながら、一方は都合のいい解釈で主義を変えて成功した国、もう一方はかたくなに主義を変えずに停滞している国となった現在、中国人にとって北朝鮮は単なる観光資源のひとつに成り下がってしまったようだ。中国人観光客がぞろぞろやってきて、物珍しそうに時代が止まった対岸の北朝鮮の町を眺めている。
 夜に鴨緑江にやってくると、対岸の北朝鮮側はほとんど電灯が見えない。川辺に町がないだけかもしれないが、煌々と明るい中国側とはえらい違いだ。北朝鮮の人は中国のことを夢の国かなにかのように思っているに違いない。実際には、川岸の町並みはほとんど建物だけでひとけがない張りぼてなのに。社会主義陣営が得意とする、見せかけだけの町並みである。

北朝鮮を望む山にあるもの
 北朝鮮がらみのスポットとして、鴨緑江公園の他に、山の上から北朝鮮を眺められる錦江山公園がある。上から眺めればさぞ遠くまで見られるに違いないと急な斜面を息を切らして登るものの、肝心の山頂の展望台が修復中であがることができない。山頂は木が生い茂っているのでこの展望台に登らなければなにも見えないのだ。まったく、余計な修復をするものである。
 肝心の北朝鮮がみられずがっかりしながら降りてくると、せこい動物園のようなものがある。ここは公園なので、こういった娯楽施設も多少あるらしい。動物園の隅の方に、やけに安っぽい城のような建物がある。タイトルをみると「新恐怖城」となっている。こういう場所にありがちなお化け屋敷のようだ。なぜか“新”とつくところが気になるし、建物の横にはそれらしい説明書きがあってなんとなく入りたくなる。値段が安いこともあって小銭を払って中に入る。

 新恐怖城 チープすぎる外観

 中の壁はベニヤをペンキで塗って張り合わせたもので、タイの安宿に似ていてやけに懐かしい。展示物は中国思想の地獄を再現しているのだが、反応が遅いので人形が驚かしてくるまでその前でちょっと待っていなければならない。それでも驚いてしまう私はかなりの臆病だろう。ボロいながらもだいたいの人形がいちおう動くのでなかなかのものだ。
 さらに山を下ると、今度は「人蛇同居」という見せ物がある。外の看板の写真には、美女やかわいい子供にたくさんのヘビが巻き付いている姿が映っている。説明書き(なぜか必ず説明書きがある)にはこういうのは前例がないということなど、さもすごそうなことがかかれていてまた見たくなってしまう。値段も子供の小遣いのような額だ。

 人蛇同居 迫力の看板に期待も高まる

 テントの中に入ると客は自分の他にふたりくらいしかいない。出てきたのは意外にも青年で、小さなヘビを片手になにやら説明を始める。説明が終わるとそのヘビを叩いて口を開けさせ、さらにそのヘビを青年がくわえて拍手をもらうという芸をやり始める。あまりにくだらないので誰も拍手をしない。
 ヘビが終わると今度は無表情な年増女性が出てきて唐突に手品を始める。機嫌が悪そうである。手品はまあ、ちゃんとした手品である。手品が終わると今度は少林寺で修行したようなちょっと小太りの青年が登場し、首で鉄骨を曲げるというおなじみの芸をする。よくテレビでみるものの、実物をみると本当に痛そうで、思わず少ない客からまばらな拍手があがる。見応えのある少林寺青年の次はまたしてもまた不機嫌女性の手品である。一応今回もまともな手品である。
 そしていよいよ真打ちの人蛇同居となる。幕が上がると、狭いオリの中にヘビがたくさん入っていて、年増女性が寝そべって蛇をいじっている。さらにはふたりのガキが一緒にオリの中に入っている。どうやらこれが人蛇同居のようだ。女性はしきりに身体にヘビを巻きつけているがまるでヘビに迫力がない。ガキにもヘビを持たせようとするが、少年の方がそれをいやがってすぐにヘビを捨ててしまう。女性が怒ってしかったり耳を引っ張ったりしたりするがまるできかない。そのやりとりがおかしくてひとり笑ってしまった。
 まるでつまらない見せ物に少しでも変化をつけるべく、決めワザとしてガキどもがさっきのヘビ青年のようにヘビをくわえる。姉らしき女の子はすぐにやるが、いうことを利かない男の子は今回もまるでやる気がない。女性がなだめすかし、ようやくくわえてまばらな拍手をもらうと幕が下りてしまった。
 その後は何度か手品や少林寺青年が登場する。少林寺が火のついた棒を口で消す芸をやったとき、本当に熱そうなそぶりをする。修行のたまものというより単に体を張っているだけかもしれない。いずれにしてもきつい芸であることには変わりない。ヒマな芸を見ているうちに他の客が帰ってしまった。見ているのは自分ひとりだけである。それでもいちおう客がいるので芸が続けられる。こうなると逃げるタイミングが難しい。こっちもひとりで拍手をするのも疲れるし、ひとまわりして同じ芸に戻ってしまったのですでに飽きている。幕間でようやく退散するとさっきのガキどもが入り口で遊んでいた。
 場末な雰囲気にすっかり魅了された私はもうとまらない。今度は水族館だ。こんなところにまともな水族館などあるはずがないと思いつつも小銭を払ってしまう。中は小さな水槽が多少並ぶだけで、東京あたりの熱帯魚屋の方が迫力ありそうだ。友人の家で飼われている熱帯魚に似たような魚もいる。最大の見どころはカブトガニだろうか。日本では天然記念物でも、中国ではただのカニ扱いだそうだ。
 最後はとっておき、「中国古代人体真人古屍展覧」、つまりミイラの展示である。説明書きがまた筆がのっていて、「我国歴史悠久」で始まり、いかにミイラが学問的に重要であるかが説かれ、ここにあるのは最も状態がいい古代人のミイラだということが書いてある。こんなところにそんなミイラがあるのかと半信半疑だがやはり入ってしまう。
 中はやけに狭い部屋で、いちおう本物の男女のミイラがおかれていた。この状態なら国立博物館あたりにおさめられていてもおかしくない。さすが中国、こんなシケた場所にもそれなりのミイラがあるとは。ミイラだけでなく、人体の輪切り標本や胎児の成長過程のホルマリン漬けがあったりと、かなり不気味な空間であった。
 出てくると父と娘のふたり連れがどうだったか聞いてくる。中国人にとってもこういう場所は迂闊に信じて入るものではないようだ。いちおうミイラは本物だと筆談するが、娘はついに入りたがらなかった。うん、それが賢明だ。

万里の長城の果て
 丹東の郊外には万里の長城の東の果てがある。歩き方には別の場所が書いてあるが、中国の本を見るとここが外れになっている。観光地として整備したのは最近になってからのようだ。北京でいかつい万里の長城を見てしまったので、ここのは幾分安っぽく見えてしまう。
 途中からは長城がとぎれてやたらきつい石段となる。見た範囲ではここまできつい斜面はなかった。長城が作れない岩山を石段が続いているのであった。岩山を超えると再び長城が再現され、その最後にあるのは山の上にある砦のような場所だった。ここはきわめて重要な場所だ。なぜならここから川を挟んで対岸の北朝鮮側が見られるのだ。
 ここからは北朝鮮の監視小屋のようなものが見える。川でも渡ろうものなら北朝鮮側に銃撃されるに違いない。貴重な北朝鮮の景色が楽しめる国境地帯、もっと知られればここも人気ある観光地となるに違いない。

中国最後の日
 歩き方には相部屋で安くホテルに泊まれるようなことが書いてあるのに、実際に行くと外人は部屋を貸しきりにするか、さもなければちょっと高い個室にしてくれとどこへ行っても断られてしまう。しかたなく若干高い金を払って安宿の4人部屋を貸しきりとするが、金をケチりたい私はたまたま客引きしてきた個人営業の安宿のシングルに泊まることにした。前の宿より若干安い。
 客引きの青年がやたら熱心で、中国の家庭的な宿で安全は保障するとまで言う。床屋に行きたいと告げるとわざわざついてきてくれるくらいの親切さだ。彼の熱意にひかれてそこに泊まることにした。
 宿は日本の官舎に似たアパートの一室を改造したもので、おばさんが食事を作ってくれるので安く済ませることができる。慣れてくればなかなか快適で気に入り、他の日本人にも紹介しようかなという気になってきた。
 さて最終日。朝起きてふと財布の中を見ると札がすべて抜き取られているではないか。やられた。部屋に鍵がかかるので安心して財布はディパックの中にそのまま入れておいたのだ。外に出ようと扉を開けるといつもと雰囲気が違うので、嫌な予感がして財布をチェックしたらこれだ。最終日なのでほとんど金は残っていなかったものの、宿から隣町のフェリーターミナルまで行く人民元をすべて財布に入れてあったので困ってしまった。宿の人間か、それとも客か。まるでわからない。
 コインには手をつけられていなかったので、5元が財布の中に残っている。さらに鍵のデポジットとして10元払っているのでそれが返ってくる。ぎりぎりなんとかなるかもしれない。当初予定では乗合タクシーで行くつもりだったが、こうなっては一番安い公共バスを使うしかない。バスでの移動はさんざん苦労させられてきたので、今回もどれだけ時間がかかるかわからない。フェリーに乗り遅れては大変とすぐにチェックアウトして港に向かうことにする。泣き寝入りはいやだが、文句を言ったところで金が戻ってくるわけでもないし、フェリーに乗れなかったらそっちの方が痛い。そんな宿に泊まったことが公安にばれるとかえって面倒なことになるかもしれない。
 まずは5角(0.5元、7.5円)で具のない饅頭を買って朝飯とする。丹東から隣町の東港までのバスに乗り込む。それが4.5元。小銭はこれですべて使い切った。一時間半ほどで東港市のバスターミナルに着く。今度はここからフェリーターミナルまで行かなければならない。話しに聞いていた乗合タクシーを探すものの見つからず、バスターミナルのインフォメーションの人に聞くと普通にタクシーで行くしかないようだ。聞くと10元で行けるという。もうそれでぎりぎり、ボったくってきたとしても払う金はないぞ。
 なぜかメーターが回っていて、10元以上の金額を示すものの、降りるときに10元払ったら問題なく降りることができた。なんとかぎりぎりターミナルに着くことができた。
 しかしチェックインの時にターミナル使用料として数元要求される。本来なら余裕で払えたのに。ドル払いもできたので、貴重なドルを使ってその場を切り抜けた。
 それにしてもこの財布、イタリアですられたけど返ってきたし、中国でも中身だけ抜き取られて本体は無事だった。なかなかしぶとい奴である。盗まれ癖がついているかもしれないけど。

そして出航
 丹東から韓国の仁川に行くフェリーは、中国で仕入れた物資を運ぶために利用されているらしく、ターミナルには手荷物として船室に入れられる大きな包みが次々と運び込まれてくる。これをすべて船に運び込むのだから時間がかかる。フェリーターミナルは大混乱だ。
 フェリーに乗り込むと言語はほとんど韓国語だ。あとは多少の中国語。英語より中国語で訪ねた方が通りがよかったりする。渡された税関の申告書はすべてハングル文字で書かれている。読めないと言うと待たされ、日本語が分かる人がやってきて記入してくれた。外人にとってはそれほど重要なものでもないらしい。
 ベッドでぼんやりしていると話しかけるおじさんがいる。わからないフリをすると今度は日本語で話しかけてくる。このおじさんと話していると、別のおじさんもまた日本語で話しかけてきたりする。さすがに日本が近くなってきた。
 出航時間を過ぎても船が出ず、一度架けられた橋がまたひっこめられたのでどうしたのかと見ていると、乗務員の女性が急病になったらしく仲間の女性たちに助けられて運び出されていた。車が用意されているのだが、女性を乗せてからなかなか出発しない。手続きに追われているのかもしれないがなんとなく気の毒である。
 女性を降ろしたらあわただしく船は出航する。どんどん遠ざかってゆく岸を見ていると、中国を離れるのだなあという気になってくる。今どき船で旅をするのも古くさいが、やはり気分は最高に盛り上がる。
 韓国オバさんたちは中国人に負けじ劣らじパワフルで、船内では持参していたキムチで食事をとり、気がつくと船のデッキで魚のひものを吊していたりする。船で魚を干す人々も初めて見た。

 干物 熱心に干している

 干物2 そしてこうなる

 珍しいので写真に撮っていると韓国男性が話しかけてきた。旅好きで日本にも何度か来たことがあるらしく、お互い片言の英語と中国語で話をする。丹東は安く韓国料理が食べられるのでけっこういい町だと教えてくれた。
 翌日起きてみるともう韓国の岸辺を進んでいた。最後の国、韓国も目前だ。

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