さわやか旅行記 アメリカ−ドミニカ共和国
ニューヨークへ行きたい (アメリカ 02.2.12)
東海岸の都市 (アメリカ-2 02.2.22)
リゾートでくつろごうか (アメリカ-3 02.2.22)
南の島の大都市 (ドミニカ共和国 02.2.23)
アエロマールでアメリカ再上陸 (ドミニカ共和国-2 02.3.30)
ニューヨークへ行きたい (アメリカ 02.2.12)
当初の予定では、ヨーロッパで終了するつもりだった今回の旅。ところが意外に予算を節約することができたのでまだまだ移動が可能だ。読者のみなさまからの
絶大なる支持を受け、アメリカ大陸へ足を踏み入れることになった。アメリカといえば、一昔前にはやったアメリカ横断ウルトラクイズ。ニューヨークは日本人にとってあこがれの地なのである。
アメリカに足を踏み入れる
太平洋戦争時は敵国、戦後は一転して支援国、そして最大の経済力・影響力を持ち、日本が常にその背中を追い続けてきたアメリカ。いろいろ複雑な感情が入り交じるこのアメリカという国を是非見ておきたい、そう考えて私は大西洋を渡ってアメリカを目指す。超大国のアメリカはいろいろな示唆を与えてくれるに違いない。
手に入れたアメリカ往復3ヶ月チケットはKLMのものだ。アメリカはビザを取るのが難しく、3ヶ月以内ならビザは免除になるものの帰りのチケットが必要だと聞いていたので、少々高くても往復チケットを入手したのだった。リスボンからKLMの本拠地アムステルダムに飛び、そこからニューヨークに飛ぶことになる。離陸時刻は早朝5時とかなり狂ったスケジュールである。さすが格安航空券。仕方なく前日から空港のロビーに泊まり込み、フライトに備えることにした。
ところがいざ搭乗時間になっても、アムステルダムの天候が悪いということでちっとも飛ばない。予定より1時間半遅れでようやく出発する始末。ホテルに泊まってもじゅうぶん間に合ったなあと思ってしまう。
アムステルダムに着くと、機内アナウンスで乗り換え時間は
わずか10分だという。それはたいへんと急いで降りるが、とにかく空港が広くてちっともニューヨーク行きの搭乗口にたどり着かない。でかすぎる空港というのも困りものである。途中からは走る羽目に。息を切らしてカウンターに行くと、「早かったですね」と言われた。あとで乗り換えの所要時間を調べると30分とあった。
そんなの無理に決まっている。汗をかきながら飛行機に乗り込むと、機内はなぜかあの大騒ぎインド人風の乗客ばかりで混乱している。本当にアメリカ行きなのかと疑ってしまうような光景だ。
リスボンのユースホステルでの最終日、ワインを飲んで酔っぱらった自分は腕時計を床に落として壊してしまっていた。この重要なときに時計がないとはなんとも不便だ。ポルトガルからアムステルダム、そしてアメリカとすべてに時差が存在してややこしいこともあって、けっきょく、何時に離陸してどれくらいの時間飛行機に乗っていたのかまるでわからない。ひたすら耐えて乗っていると、ようやくニューヨークに到着した。でもまだ気は抜けない。というのも、アメリカ最初にして最大の難関、イミグレーションが待っているのだ。
イミグレの入り口には、日本語でようこそというようなことが書かれているが
やけにしらじらしい。本当にこのパスポートと往復チケットで入国ができるのだろうか。緊張しながら係員の前に立つと、帰りの航空券はまったく調べられず、質問は日本語でやってくる。拍子抜けするほど簡単にアメリカに入ることができた。例のテロ事件以来、飛行機に乗るときはチェックがやたら厳しくなったといわれているものの、ポルトガルでは機内預かりの荷物はまったくチェックを受けず、ここニューヨークでは帰りのチケットすら見ない。最大のJFK空港ではなく、ニューアーク空港に到着したということもあるのだろう。それにしてもあっさりとこれたものだ。
さて、早朝のアムステルダムの悪天候からスケジュールが狂い始めた今回のフライト。最難関のイミグレを抜け、安心しながら機内預かりの荷物を待っているとなぜか出てこない。
いきなりロストバゲッジだ。あれだけ走ってようやく乗り換えができたくらいだから、果たして荷物など載せ替える時間などあるのだろうかと考えていたら案の定これだ。もうひとり、年輩の女性もロストバゲッジにあっている。一緒にクレームカウンターへ。コンピュータで探すと荷物はすぐに見つかり、明日ニューヨークに到着するらしい。お詫びのしるしとしてくれたのは25ドルの割引チケット。円に直せば3千円強、
ガキのお年玉より安い金額がお詫びとはなめられたものだ。
空港からホステルまでは乗合タクシーを使う。車窓から見たマンハッタンは、平らな地面に摩天楼がにょきにょきと生える壮観な眺めだ。さすがにニューヨーク、他のどの都市とも違う。そして長いトンネルを通ってマンハッタンに到着する。道の両側にビルが建ち並び、まさにビルの谷間にいるような感じ。こりゃすごいぞ。

ついにやって来たニューヨーク
歩き方に載っている安宿に行き、チェックイン。ロストバゲッジにあったから航空会社に連絡しなければならないと言うと、快く電話を貸してくれた。空港の交通案内カウンターとここのスタッフは両方ともやたら陽気で、アメリカに来たことを実感するのだった。ちなみに航空会社の電話は発音があまりに完璧すぎて最初は録音テープかと思ったくらいだ。こちらの英語などまるで通じず、あっさりと日本語デスクに回された。本当にやつは人間だったのか?
同じ部屋にいたのは久しぶりの日本人。さっそく彼の案内でチャイナタウンへ行って夕食にする。量の多さはさすがアメリカ。食後はウォール街まで散歩したりと、さっそくアメリカを堪能するのだった。
ブラザー、ここはヤバいぜ
翌日は宿の日本人含め3人でハーレムに行ってみる。黒人文化でなにかと有名なハーレム、最近はだいぶ安全になってきたというので雰囲気だけでも味わおうと思ったのだ。地下鉄で中心地に降りてみると、表通りは普通の商店街といった雰囲気でそれほど怪しくはない。何軒か商店を冷やかしてみるが、客は確かに黒人ばかりだ。とはいえ、テレビ番組のように昼間からストリートで陽気に音楽を演奏している、なんてことは
まるでない。そりゃそうだ。ここだって普通の町なのだ。
裏通りを通って近くのコロンビア大学まで歩く。裏通りもあまりひとけがない。問題なく大学までたどり着くことができた。昼食は大学の近くの韓国料理店。とにかくニューヨークはなにもかもが高く、同じ金額を払うのならおいしくてサービスのいいアジア系レストランがいいような気がする。ここはキムチなどのおかずが食べ放題だった。
食後はハーレムの別の道を歩いてみる。古い建物が立ち並ぶ歴史的地区があるということで、そこまで行くことにしたのだ。ところが正確な地図を持っていないので場所がよくわからず、路上にヒマそうな若者たちがたむろする怪しげな通りにたどり着いてしまった。
ビジュアル的にかなり危険な雰囲気。こ、これはちょっとやばいのではないか。車道ではおかしな奴がバイクを乗り回しているし。表通りでこれなのだから、裏の小道に入ったら相当危ないのではないだろうか。こんなところに観光客は来るものではないと痛感したのだった。
国際領域に行く
ニューヨークには国際連合の本部がある。数々の紛争を停めたり調整をはかったりとずいぶん役に立っている組織だ。たまにテレビに登場する会議場が見たくて行ってみることにする。タイムズスクエアにある宿から歩くことしばし、川に面した国連本部ビル近くにたどり着く。するとそこにはへたな映画なんて目じゃない
大量の警官たちがうろうろしているではないか。数十人どころではない、たぶん数百人単位のポリスだろう。最初は警察コスチューム好きのミーティングかと思ったくらいだ。日本にいたころからなにかといい思い出がない警官たちがこれだけ揃うと緊張して胃が痛くなってくる。さらにパトカーも、ここは署の駐車場かと勘違いするくらいガンガン並んでいる。いったいなにが起こったというんだ?

ニューヨークはポリだらけ
本部には荷物を預けてセキュリティチェックを受けるとあっさり入れる。ここはどこの国にも所属しない、国際領域である。神戸港なのにイギリス領、イタリアなのにバチカン市国、そんな変わったシチュエーションが好きな自分としては
もちろんうきうきする。さっそくツアーを申し込むと、会議をしているので多少見られない部屋があり、その代わり少し値引きをするという。どんな状況でも安いということは魅力的なので、ほいほい申し込む。
呼ばれて行ってみると、日本人の係員がいる。さすが国連、日本人の誘導には日本人の係員なのかと感心していると、彼女(すてきな女性です)が英語でガイドをするのだという。自分と連れは日本人だが、今回は英語の回、他にもアメリカ人夫婦ふたりがいるのでもちろん英語でガイドをすることになる。日本人から英語でガイドを受けるというのもへんな気分だ。しかも自分だけほとんど理解していない。かなり見たかった安全保障会議場は会議中で中に入れず、ドアの隙間からかろうじて見るだけだった。
国連本部に来てまでのぞきをしなければならないとは。
ツアーが終わってから、ガイドの女性はわざわざ日本語のパンフレットを探してくれた。聞くと、自力で採用試験を受けて職員となったという。日本人がこんなところでも活躍しているとはうれしい限りだ。
国際領域とはいえ所詮ここはニューヨーク。売店でいまいちのデザインの絵はがきと地球儀のミニチュアを買うと、支払いはドルだしレジもアメリカ的にノリのよさだけが取り柄のいいかげんな応対だ。郵便局で手紙を送ろうとすると、わざわざ日本のデザインの切手を用意してくれる。日本に日本のデザインの切手を送ってもしょうがないので他のデザインをお願いすると、海外用の切手はあまりよいものが揃っていないようだった。こういうときには国連のマークとかべたなデザインでいいのに。
美術の宝庫ではないのか
芸術というのは経済力に直結しているもので、リッチなニューヨークにいい芸術品が集まるのは当然だろう。西洋絵画を語るのにアメリカを見ないのは片手落ちと考えてアメリカを目指したのだから、美術館巡りはかなり重要である。特に近代美術館(MoMA)は、たしかナムコのビデオゲームパックマンを収蔵したはずのユニークな美術館だ。
とある天気の悪い日、近代美術館に向かった。例のごとく宿から歩いてゆくと、繁華街のど真ん中にMoMAがある。ついに来たのかと感慨深い。中に入ってチケットを買うと、今は改装工事中なので入場料を割り引くという。もちろん値引きは大歓迎。やけにサービスがいいではないかとうかれ、パリのオルセイ美術館も改装中で問題なかったことを思い出して軽い気分で中に入る。
2階に有名な収蔵品ばかりを展示した部屋がある。なるほどほとんどすべてがメジャー作品ではないか。さすがにハイクオリティだと感心していると、
その部屋だけで美術館は終わりだった。こ、これで終わりなのか? 東京でやったMoMA展よりも点数が少ないではないか。
よくよくパンフレットを見ると、改装工事があまりに本格的なため、ほとんど収蔵品が見られないらしい。ここまで来たというのにたったこれだけとは。値引きされていなかったら本気で怒るところだ。ということでここはニューヨークで最も心残りな場所となった。
次はフリックコレクション。個人コレクションの美術館で、今回の旅で気に入ったフェルメールの絵があるというので行ってみた。フリック夫妻の豪華な屋敷がそのまま美術館となったらしい。絵を見ているというより
アメリカの金持ちの力を見せつけられているような。建物の中に泉や池まであったりと、個人の家とはとても思えない。コレクションの方はそれなりで、オルセイやプラドなどの巨大美術館に比べると見劣りするのは仕方ないか。
そして現代美術で有名なグッゲンハイム美術館。アメリカの大金持ちとして有名なグッゲンハイム一族のコレクションらしい。イタリアのベネチアで分館を見ていたので、その方向性は何となくわかる。MoMAが期待はずれだったのでグッゲンハイムを楽しみにしていた。割引チケットを使ってもなお高い入場料を払って中へ。しかし特別展ばかりで、肝心の常設展がほとんどないではないか。企画することはすばらしいことなのだが、自分としては
ひねった企画よりもメジャーどころが見たいのに。前日は休みで中に入れなかったし、まったく、ついていない。
美術館巡りの最後はメトロポリタン美術館。有名なだけあってさすがにここはすごい。広いし収蔵品も多いしさすがはニューヨーク。ここにきてようやくウォーホルの絵が見られた。中世からフランス印象派まで、ヨーロッパの絵画の充実ぶりはなかなか。アメリカがヨーロッパから買いまくったのだろう。
広いメトロポリタンで歩き疲れ、昼飯を食べることにする。カフェテリアにゆくと
めまいがするほど高い。フランスのルーブルやオルセイの混雑ぶりなどまだかわいいものだ。並んでさえいれば安いサンドイッチが食えたのだから。ふと、ここは入場券の代わりにバッチを胸につけていることに気がつく。これなら一回出てもわからないのではないか。さっそく外に出てチープなホットドックで安直に腹を満たす。
メトロポリタンで日本語を話す係員に出会う。トイレの場所を聞いたら日本語を話したのだ。話してみると日本で日本語の勉強をしたことがあるのだという。そうじゃないだろうかと思っていたら案の定、彼はインド系、バングラデシュの出身だった。旅の最初がビーマンバングラデシュ航空だったのでちょっと感慨深い。思い返せば大学時代の友人の家に
謎のバングラデシュ人が出入りしていて
カレーを食わせてもらったこともあったっけ。彼からは安い日本料理屋まで教えてもらったりと、なぜかニューヨークの巨大美術館の中で話し込んでしまうのだった。
べたべたのニューヨーク観光
ウルトラクイズで育った自分にべたべたのニューヨーク観光は欠かせない。まずは近所から。ロックフェラーセンターのスケートリンクを見て、GE本社ビルを下から眺める。ラジオシティの前を通り、マジソンスクエアガーデンは警備の厳重さに嫌気がさして入り口だけにした。
ニューヨークの象徴、自由の女神があるリバティ島へ行く。観光船に乗ったりとなにかと面倒なのだが、これを見なければニューヨークに来た甲斐がない。ウルトラクイズでさんざん見てあこがれたものだ。この日はあいにくの雨で、観光船に乗ってもまるで景色が悪いしやけに寒い。間近で見る女神はさすがに大きい。しかしテロの影響で展望台に登ることができない。天気が良ければともかく、一時間で十分だった。
女神の後ろ姿
もうひとつニューヨークの象徴、エンパイアステートビルにも行ってみた。金を払って屋上へ。ここからはニューヨークが一望できる。幸いこの日は天気が良く、自由の女神まで見渡せる。ここはアメリカ人にとっても観光地なので、おじさんたちが望遠鏡で真剣に町を眺めていたりとほほえましい限りだ。

オヤジたちも熱心だ
こうやってみると、中心部であるマンハッタンは広いような狭いような。単なる島がこれだけの求心力を持つのだから不思議なものだ。
ブロードウェイで観劇だ
ブロードウェイのミュージカルというと、
露出度の高い服を着た金持ち美女がリムジンで劇場に乗りつけるイメージがあり、日本にいるときは遠い世界の出来事のように思っていた。ところが定宿にしたホステルがブロードウェイのすぐ近所なので、歩いてミュージカルを見ることができる。ニューヨークに行ったらミュージカルを見ることを勧められていたので、見に行くことにした。
タイムズスクエアの真ん中にTKTSという安チケット屋がある。当日売れ残ったチケットを値引きして販売しているのだ。手頃にチケットが入手できるので便利なのだが、実際に値段を聞いてみるとあまり安くない。売れ残った上等の席を売りつけているだけのようだ。幸いにして今は真冬のオフシーズン、しかも平日ということもあり、直接劇場に行ったらもっと安くチケットを買うことができた。
見たのはディズニーの“美女と野獣”。意外だったのは、セリフだけの部分が案外多いということ。オペラの感覚でいたので、歌だけで通すのかと思ったらそうではなく、観客のアメリカ人はセリフで大笑いしている。とはいえ筋はわかりやすくセットがよくできているのでなかなか楽しめた。しかも客が少ないので、安いチケットで前の方に移動することができた。これはお得だ。
いったんシステムになれてしまうともう止まらない。超一流のエンターテイメントがこんなに簡単に見られるとはなんとも贅沢だ。次は“オペラ座の怪人”。ディズニーよりちょっと渋めのミュージカルを見たいと思ったからだ。金曜日の夜は本来なら値段が高いものの、逆に割引チケットが使えるので平日価格となる。これも英語が分からないとなかなか筋を追うのが難しいのだが、雰囲気はなんとなく楽しめた。特にラストシーンはディズニー的ハッピーエンドとは違って渋く感動的だ。
こうなると、有名な“ライオンキング”を見たくなる。しかし窓口に行っても安いチケットは来週まで無いと言われる。さすがに“ライオンキング”は難しいか。ふと観光案内所をのぞくと、安チケットの情報が書いてある。それによると、チケットが完売したときに限り立ち見チケットを販売するという。ウィーンのオペラでもそうしたのだから立ち見でも問題ない。1時間ほど前に窓口にゆくと、ちょうどソールドアウトになったと係員が告げるところだった。すかさず聞いてみると立ち見チケットが出た。他にも何人か立ち見の人がいて、公演が始まると巧みに席を確保していた。劇場に入ってさえしまえばなんとかなるようだ。
人気があるだけあってさすがにクオリティが高い。特にオープニングは感動的で、自分も思わず拍手してしまった。途中は英語が分からないのでちょっとダレ気味、NHK教育テレビの人形劇のようなチープな演出で話を進めるシーンがあったりといまいちな部分もある。アフリカが舞台なので、まさに黒人たちの天下、音楽といいダンスといい、パワフルな演技がすばらしい。さすがは人気のミュージカルだ。エンディングはやっぱりディズニー的ハッピーエンドなのだが。
“ライオンキング”を見てミュージカルは終わりにしようと思っていたものの、日曜日の夜にイーストビレッジというところを歩いていると、ふとオフブロードウェイ“ストンプ”の劇場を発見する。試しに聞いてみるとチケットがある。日曜日なので始まる時間が早く、しかも値段が安い。これは行けといっているようなものだろう。
オフブロードウェイトとは、ブロードウェイの完成された豪華な見せ物とは違う、小規模で実験的な内容の見せ物だという。イーストビレッジという町は東京の下北沢に雰囲気が似ていて、オフブロードウェイも下北沢の芝居のようなものだろう。そのためかどうか知らないが、ここにはなぜか日本の居酒屋が多く、こじゃれた日本人が歩いていたり居酒屋で酒を飲んでいたりする。
“ストンプ”はプリングルスのCMでやっていた、デッキブラシやゴミバケツなど身近な道具を楽器にしてしまうという見せ物だ。とにかくパワフルでリズム感がすごい。しかもかっこいいので日本でやったらうけるに違いない。
テロの傷跡
こうしてニューヨークに滞在している自分なのだが、少し前ならニューヨークへ観光に来ることなど考えられなかっただろう。英語を話す人々に「セプテンバー・イレブン」と呼ばれている、例のテロ事件の影響は今でも感じることができる。
初日の夜、チャイナタウンに行った足でワールドトレードセンター跡地に行ってみた。周りの区画は立入禁止で見られない。地下鉄駅に行く道を発見し、そこを抜けると目の前が跡地だった。現在ではほぼ更地になっていて、残骸などはほとんど見られない。しかし周りのビルはまだ壊れていたりとその事件のすさまじさを感じさせる。思えばイラン最初の町で、この場所の映像をヨーロッパ人たちと眺めていたのだった。自分はなぜか、あの事件の現場に立っている。アメリカの威信をかけてでも早急に復興させようというのか、夜だというのに重機の音がやまない。他のアメリカ人に混じってしばしたたずんでいると警官がやってきて、ここは通路なので止まっていてはいけないというようなことを言われる。
現場の近くにはたくさんの写真や花が飾ってある場所がある。テロの犠牲になった人を偲んでそれらのものを飾ってあるのだろう。そこから離れた場所の、グランドセントラルステーションという鉄道の駅に行くと、同じように写真を飾った場所があった。なにげなく見ていると、日本人の名前があることに気がつく。それらの写真はミッシング、つまり尋ね人ということで、当人の情報や見つかった場合の連絡先が書いてある。よく探すと日本人の尋ね人が結構あるではないか。もうほぼ見つけることは不可能と考えられる今でもこうやってミッシングの張り紙がしてあることがよけいに痛ましい。遠いアメリカの事件というだけではなく、日本人も多数犠牲になった、身近な事件だったのだということをあらためて実感するのだった。

現場前は雨でも人が絶えない
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東海岸の都市 (アメリカ-2 02.2.22)
一週間のニューヨーク滞在の後、東海岸の有名な都市を回ることにする。東海岸には見どころが多い。まずはニューヨークの北ボストンからはじめ、南下してゆくコースを考えた。
グレイハウンド乗り始め
アメリカを貧乏旅行する手段として有名なのが、グレイハウンドという全米バス網だ。こいつを使えばアメリカ国内をそれなりに安く移動することができる。グレイハウンドは外国人旅行者向けにアメリパスという割引パスを販売していて、それを利用して旅をするのが一般的なのだ。
ところが我らがガイドブック“地球の歩き方”を見ると、アメリパスは日本で買えなくなったという情報しか載っていない。それならどうすればいいんだ? ためしに英語のガイドブックを読んでみると、ニューヨークのバスターミナルで買えると書いてある。さすがは英語のガイドブック。ボストンへ発つ日、バスターミナルで尋ねてみると本当に買えた。ただし係員の対応は最悪。さすが悪名高いグレイハウンドだ。
グレイハウンドはヨーロッパのバスと違って、予約というものができない。だから早めにゲートに行って並ばなくてはならない。へたしたら乗れないこともあるらしい。まだこのシステムになれていないこともあってなんとなく面倒くさい。並んでいると後ろのおばさんと話をすることになり、ボストンのことを教えてもらったりする。
ようやく搭乗、荷物はわざわざ係員がバスの下に入れてくれるのだが、この荷物係がなんとも頭が悪そうで、わざわざ放り投げるので腹が立つ。それなら自分で入れた方がまだましだ。バスが走り出すと、ドライバーがユーモアを交えてコースなどを説明する。もちろんまるでわからないが。
途中でトイレ休憩がある。ドライバーがアナウンスで「10分だ、10分」としつこく繰り返す。腹が減っているので、他の乗客に混じってピザを買うことにした。この田舎のドライブインの売り子さんは若い白人女性で、しかもにこにこ笑顔で応対してくれる。20年くらい前のアメリカの娘さん、という感じがなんとも心地よい。ニューヨークの黒人デブババアどものなめきった対応に辟易<していた自分にとっては天国に来たような気分だ。しかも金を払い終わると「いい日を」とか言ってくれるではないか。日本でいうところの「またご利用ください」というマニュアル文句かもしれないが、それも十分だ。渇ききった心にしみいるすばらしき対応であった。思えば自分もずいぶんいじめられてきたものである。
ニューヨークから4時間半ほどでボストンにたどり着く。ボストンの地下鉄は乗り方がよくわからず、間違った駅で降りてしまう。それでもこじんまりとした町なので、難なくユースホステルにたどり着くことができた。
ボストン観光
アメックスのオフィスを探していて時間を大幅にロスしてしまい、ハーバード大学のあるケンブリッジに着いたのは夜になってからだった。こうなるとまるで楽しくない。本屋がたくさんあるとか歩き方に書いてあるものの、実際に歩いてみると大したことがない。古本屋で英語のガイドブックを安く調達するという野望はもろくも崩れ去るのだった。
翌日の朝はマサチューセッツ工科大学に行ってみる。例のMITというやつだ。理系のエリート中のエリートが集まる、悪く言えばハイテクオタクの大学だ。構内を歩いてみてもあんがい地味で、世界最高峰の頭脳というのはまるで感じられないが、活気というか自信のようなものは伝わってくる。こういうところで勉強していたら世界征服などなにかしら野望を抱くようになるだろう。ちょっとうらやましかった。それにしてもボストンはクソ寒い。日本では上着のフードなど飾りに過ぎないが、ここでは使って当たり前、目出帽をかぶっていてもちっとも違和感がない。
そして最大の目玉はボストン美術館だ。ここは日本国外で最大の浮世絵コレクションを有することで知られている。歴史の教科書でも、しばしばボストン美術館の名前を目にした。わざわざアメリカまで来たのだから見ないわけにはいかない。日本国内でもそう簡単に浮世絵など見ることができないので楽しみにしていた。
ところがここもやたらに入場料が高く、割引券を持っていても学割と併用ができない。さらにはメインの日本美術も、ほとんどが倉庫にしまい込んであるようで大したことがない。浮世絵のたぐいの数が少なすぎてがっかりだった。アメリカの美術館にはしてやられてばかりだ。ひょっとして、なぜか名古屋にある分館に浮世絵を展示しているのだろうか。
ボストンはイギリスからの独立運動が始まった町らしい。独立がらみの名所を集めたモデルコースがあり、わざわざ道に線まで引いてある。この線をたどっていけば容易に名所につけるという粋なはからいなのだが、下を見て歩いていたらいくつか名所を通り過ぎてしまった。説明を受けない限り見落としてしまうような名所の数々に最初から飽き気味だ。しかも町には叫んだり徒党を組んだりするおかしな連中がうろうろしている。なぜならボストンのアメフトチーム、ペトリオッツが優勝したのだ。あとで聞くと、その日は凱旋パレードがあったらしい。どおりで町中が紙くずだらけだったわけだ。
最後の方には、世界最古の戦艦コンスティテューション号がある。近づくと怖い顔をした警備員が来て向こうに行けという。あとで聞くともう公開時間は終わっているのだという。それなら最初からそう言えばいいのに。立ち去ろうとすると大砲の音が鳴ってびっくりする。聞くと国旗を上げるときとしまうときに大砲を鳴らすということだった。さすがアメリカ、国旗の上げ下げだけでも騒々しい。
アメリカ建国の町
ボストンの次はアメリカ建国の町、フィラデルフィアだ。ボストンは独立、フィラデルフィアは建国らしい。どう違うのかいまいちわかりにくい。日程がおしているのでかなりハードスケジュール。夕方に宿に着き、すぐさま美術館へ行く。今日は夜まで美術館が開いているというからだ。警官すら把握していないバス路線に迷いつつもなんとか美術館にたどり着く。
なぜわざわざここに来たかというと、マルセル・デュシャンという芸術家のコレクションがあるからだ。オブジェを得意としていて、男子用小便器に一筆書いただけの物体を作品として展示したりとなかなか挑発的な作風で有名だ。さらに、「(1)落下する水(2)照明用ガスがあたえられたなら」という、扉の穴をのぞいて中を見るシカケの作品はここでしか見られない。中になにが入っているのか公開することは禁止されているので、フィラデルフィアにまでのぞきに来なければならないのだ。
中はけっこう広く、点数も多い。近現代に的を絞り、古い時代のものは素通りした。近現代も適当に歩いていると、人が集まってなにやら説明を受けている。よくよく見てみるとこの部屋がデュシャンだった。まるで気がつかなかった……。例の作品、見てみるとなるほどというものだった。遺作らしいが、最後まで挑発的だ。日本でもこういうことをやれば世界中から見物客が訪れるのに。
翌日は午前中の1時間だけ名所見物に当てる。しかしあいにくの雨。自由の鐘は見つからないし、独立記念館は開く気配がない。ほとんど名所を見ないままフィラデルフィアをあとにするのだった。
アイルランド人と巡る首都
アメリカの首都ワシントンDCは、今やニューヨークよりも治安が悪いというデンジャラスシティだ。グレイハウンドでフィラデルフィアから3時間、あっさりとワシントンDCにたどり着く。まずは宿探し。正規のユースホステルは快適だというが、私設の安ホステルに比べると少し高い。ユースすら贅沢という貧乏旅行をしてきた自分としては選択肢はもちろん安い方だ。
ところが部屋を見て驚く。なんと3段ベッドではないか。これだけ狭い部屋は欧米圏で初めて。しかもあとで気がつくのだが、夜遅くなればなるほど、下の階の音楽のボリュームが大きくなる。耳栓をしたところで、体中で振動を感じるのだからたまらない。今までで最低の宿だと断言できる。キッチンとテレビがあるのがせめてもの救いか。
部屋で途方に暮れていると、白人が声をかけてくる。彼はアイルランド人だという。どれくらい旅をしているか聞かれ、半年だと答えると、彼は10ヶ月だった。そりゃ長い。翌日から、この気さくなアイルランド人トニーとワシントンDCを巡ることになる。
その夜は近所のスーパーで食料を買い込み夕食を作る。トマト風味のスープとパスタを作る予定で張りきるものの、にんにくと唐辛子という2大必需調味料を欠いたイタリア料理モドキは味にインパクトがなく、今までの自炊の中でも最悪の出来となる。まずそうに食べていると悠然とアイルランド人が現れて、おいしいかと聞いてくる。ノーグットと答えると、サブウェイはおいしかったとすまして言う。実は彼にサンドイッチのサブウェイに行かないかと誘われていたのだった。さっそく反撃を食らっている。
彼自ら朝の7時に起きて出発しようと言っていたにもかかわらず、翌日私が起きたのは8時半、奴は9時過ぎても起きる気配がない。彼を起こし、10時頃にようやく宿を出る。しかし彼は贅沢にもモーニングコーヒーを要求、隣の喫茶店でいまいちなアメリカンコーヒーをすするのだった。どうやらコーヒーよりここのウェイトレスが目当てのようだ。ただし会計を頼んでもなかなか伝票を持ってこないので怒っていた。日本人だけに対する仕打ちではないらしい。
まずは国会議事堂へ。しかしテロの影響か中に入ることができない。すでに最初の国会議事堂に行く道中だけで、奴は適当に地図を見ているのであてにならないということに気がつく。本当にこれで10ヶ月も無事に旅をしてこれたのだろうか。図書館、最高裁判所と渋めの建物を見てから、今度は私が要求してFBI本部に行くが、ここも入れない。トニーも楽しみにしていたらしく、ふたりでがっかりする。
次は国立自然史博物館へ。ここには世界最大のブルーダイヤ“ホープダイヤモンド”がある。確かこれは呪われたダイヤとして有名で、所有した人が次々と不可解な死を遂げているという。確かに大きい。トニーは恐竜の骨を見て喜んでいる。思い返せば小学生時代に恐竜がはやって、骨を見たいと思ったものだ。日本ではこういう科学博物館は子供が来るものという意識がないではないが、アメリカでは大人でも楽しそうに骨を見たり魚のホルマリン漬けをのぞき込んだりしている。好奇心が旺盛なのだ。
そして航空宇宙博物館へ。アメリカの誇る航空機やロケットに関する展示が見られる、ワシントンの博物館の中でも一番人気がある場所らしい。思い返せば小学生時代に宇宙博というものが東京あたりで開催されて(またしても年がばれそう)、金持ちが見に行ったりしてずいぶんとうらやましかったものだ。そう考えると、ワシントンは自分の小学生時代のあこがれが一堂に会している場所といえそうだ。
ここに来る頃にはすっかり疲れ果ててあまり回る気力がなくなっていた。かろうじてF−14の迫力ある映像を堪能したくらいだ。トニーはトニーで変わっていて、フライトシミュレーターにはまっている。時間もあまりなく、適当に中を流して終わってしまった。もっと時間があったらよかったのに。
夕暮れ時、ワシントン記念塔に行ってみる。ここもまわりが囲いで覆われていて近づくことができない。星条旗に囲まれた記念塔をぼおっと眺める。冬なので空気が澄んでいるのか、夕焼けが実にきれいだ。空には旅客機がひっきりなしに飛んでいる。
この日の夕食はスーパーで肉とポテトを買って自炊することにする。アイルランド人主導で西洋料理にチャレンジだ。冷凍食品のイモをどうするのかと思ったら、オーブンで温めるのだという。その方がヘルシーらしい。欧米人はオーブンの使い方をよく知っていて、これまでの宿でもしばしば西洋人がオーブンを使って調理している姿を見かけている。ところがこの宿のオーブンは壊れていて使えなく、奴はファッキンと怒る。そんなの知らんて。けっきょく私が昨日買ってきたサラダ油で揚げることにする。どんな感じでやったらいいかと聞くと奴も初めてだという。まったくもっていいかげんなふたりである。完成品はなかなかのものだった。
疲れるアイルランド人
トニーの話では、一日で主要スポットなど見て回れるということだったが、当のアイルランド人がのんびりとしているためろくに回れなかった。そこで翌日に残りのスポットを消化することにする。予定時間に奴が起きないのはもう慣れっこだ。
今日はトニーの様子がおかしい。昨日と比べてなんか元気がない。すると風邪をひいて調子が悪いという。もともとぜん息の持病があるらしく、風邪をこじらせるとやっかいだという。それにしてもよく10ヶ月も無事に旅ができたものだ。
まずは私のリクエストでナショナルギャラリー(国立絵画館)へ向かうことにする。ところが出発時刻が遅いので時間が足りそうにない。彼にナショナルギャラリーは飛ばそうと提案するが、彼はいや行こうという。地下鉄に乗ると乗換駅でないところで彼が降りようとする。いくら行っても聞かず、ならここで降りて行ける、彼のリクエストしたホロコースト記念博物館へ行くつもりになる。乗り換えする段階になってようやく彼が間違っていたことに気がつく。昨日からずっとこうだから慣れたものだが、どうも意志疎通が難しくなってきた。
ホロコースト記念博物館は微妙な展示内容なので、入館の時からやたらチェックが厳しい。これまでで一番厳しいセキュリティチェックだった。入場は無料だがチケットを発券してもらう必要がある。トニーがその発券所の係員に「ハウアーユー」とか挨拶をしているのに、係員は何枚かと聞くだけだ。トニーがあきらめて枚数を言うとようやく応対してくれる。欧米人はイエス、ノーや質問に対する答えをはっきりと聞きたがる傾向があるのだが、どうも自分には苦手だ。同じ欧米人のトニーですら辟易していた。
エレベーターで上へ。いきなり死体の映像が流されている。あのアウシュビッツよりもショッキングな展示内容だ。みんな真剣な表情で展示を見ている。とにかく狭い通路なのにたくさんの人がいて、しかもひとつひとつを食い入るように見ているのでまるで進まない。微妙な内容なのは理解できるが、あまりに神経質過ぎる感じがしたし人も多すぎたので、トニーとあとで会う約束をしてナショナルギャラリーへ。こちらはもっと平和な雰囲気。コレクションも豊富で時間があったらじっくりと見たいところだ。
中華街で食事をしたあと、ホワイトハウス、ウォーターゲート、ジョン・F・ケネディ芸術センターを訪れる。ホワイトハウスはもちろん中に入れない。外から写真を撮るだけだ。アイルランド人がなぜ写真を撮らないのかとしつこく聞いてくる。日本人が大量の写真を撮っていたのは昔の話なのに。
芸術センターからベトナム戦争の慰霊碑へ。それほど遠くないというのに彼はタクシーを使おうという。どうも話がかみ合わない。慰霊碑のところでもなんかうまくしっくりこず、ついに切れて日本語で文句を言いまくった。一番見たいと思っていた記念塔前のプールは暗くなってよく見えないし、ろくなことがない。とはいえ彼も風邪で疲れているのだ。
アイルランド人と行くペンタゴン
いよいよ最終日、遅々として消化できないスケジュールのため、ワシントンを発つ日にもかかわらず早起きしてペンタゴンに向かうはめに。今日もトニーは起きない。まったく、まるで約束を守らない奴だ。
地下鉄でペンタゴンへ。ここはニューヨークのワールドトレードセンターとともにテロの攻撃を受けた場所だ。ぜひとも行ってみたかった場所でもある。地下鉄を降りるといきなり装甲車が止まっている。これは物々しい。トニーが「写真を撮るべきだ」とか言うのでついついカメラを構えると、その装甲車から人が出てきて撮るなというようなことを身振りで示している。ヤバいなあと半ば冗談で顔を見合わせていると、本当に軍人がこっちに来いと言ってくる。ポリスなどではない。軍人なのである。
しかたなく行くと、自動小銃をぶら下げた軍人が「お前らなにをしていた、写真を撮ったのか」と訊いてくる。トニーは懸命に撮っていないと弁明する。もちろん私は撮っている。しかしどうもシャレにならない状況になってきて、急いで写真を消去する。こういうときはデジカメは便利だ。ますますもって雰囲気は険悪になり、パスポートを見せろと言う。トニーがパスポートを提示すると、軍人が紙になにやら書き写している。これは本格的にヤバい。自分のパキスタンとイランのスタンプを見られたら面倒なことになりそうだ。
しかしそこはネイティブの強み、上官のような人物とトニーが話し、だんだんと雰囲気が和らいでくる。アイルランドからわざわざ来ているということもうけているようだ。陽気なトニーの性格も幸いしていい方向に話が進んできたようだ。ただしトニーのフィルムは抜き取られ、チェックの後に家に送付するという。運がいいことに、チェックはトニーだけで終わってしまった。トニーはフィルムを取られたと悔しがっていたが、こっちはボストンからの写真を完全に消してしまったのだ。こちらの方が被害が大きい。
そんな状況なのでもちろん中に入ることなどできず、周りを歩くだけだ。しかしトニーも懲りない性格で、バレないように建物の写真を撮ったりしている。するとまたしても軍用車が近づいてくるではないか。おいおい二度目はごめんだぜ。しかしアメリカ軍は本気で、またしても「お前ら写真撮っていたのか」と迫ってくる。勘弁してほしいよ。トニーが必死に弁解していると、さっきの話が分かる上官がやってきて、なんとかうまい方向に持っていくことができた。つくづくトニーが陽気な性格でよかった。もっとも、こんな状況を招いたのも奴の脳天気な思考回路のせいなのだが。しょうがないやつだ、という感じでなんとか解放してもらった。
ペンタゴンの脇の芝生に、星条旗や花が飾られた場所がある。そこからペンタゴンを見ると一区画すっぽりとなくなっている。これがあのテロ現場なのだ。トニー曰く、芝生の上から写真を撮る分には大丈夫だという。近くにはさっきの軍用車がいて我々の動きを監視しているようにも見える。トニーが撮っても大丈夫そうなので自分も多少写真を撮る。
修復中のペンタゴン
そんな事件があって、もうひとつの目的地のアーリントン墓地に行く時間がなくなってしまった。トニーに「自分は行かなければならない」と告げると、彼は「時間があるからこっちは大丈夫」とすまして答える。まったく、奴には最初から最後まで振り回されっぱなしだ。ペンタゴン付近で写真を撮るとやばそうなので、こそこそと地下鉄駅でふたりの記念写真を撮る。さすがにぴりぴりした場所だった。
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リゾートでくつろごうか (アメリカ-3 02.2.22)
アメリカ東海岸を駆け足で通り過ぎたのは、マイアミに高校時代からの友人がやって来ることになっていたからだ。今回の旅立ちに少なからず影響を与えた彼、わざわざ空港にまで見送りにきてくれたりもしてくれている。今回の旅で初めて知り合いと一緒に回ることになるので楽しみだ。しかしこれが予想以上に難題続きだったりする。
グレイハウンドの洗礼
どうも友達と会う約束をすると、スケジュールの調整のために長い距離を移動することになってしまう。ロンドンで友達と会う約束をしたときは、イタリアのミラノからほぼ一日がかりでロンドンまで行くはめになった。今度もワシントンDCからマイアミまで、24時間のバス旅だ。
グレイハウンドはヨーロッパの長距離バスと違い、直行便が出ていない。途中のバスステーションで一度バスを降りてもう一度乗り直す、リボーディングというしくみがあったり、別のバスに乗り換えさせられたりする。のんきにバスに乗り続けているわけにはいかないのだ。バスは混雑していて狭苦しい。アメリカ人は身体がでかいくせに、シートの間隔はやけに狭かったりする。これは不快だ。
夕方に一回リボーディングがある。せっかく席を確保したのにまた並んで乗り直さなければならないというのはなんとも不便。おまけに搭乗ゲートが直前まで決まらず、係員が教えてくれた場所に並んでいると別の場所だったりと一瞬たりとも気が抜けない。ずいぶん面倒くさいシステムである。
夜7時頃には乗り換えがある。リボーディングのときはチケットが発行され、すでに乗っていた人が優先的に乗れるので気が楽だが、乗り換えでは確実に乗れるという保証がない。緊張して並んでいるとなんとか席を確保することができた。日曜日のマイアミ行きということもあるのかけっこう混雑している。ユーロラインのスカスカバスが懐かしい。夜7時に乗り換えだったため、食事タイムなどという気が利いたものはなく、途中の休憩でお菓子やジュースを買って飢えをしのぐしかない。歩き方には「必ず休憩や食事タイムがある」などと脳天気なことが書いてあるが、ない場合が多いので油断はできない。
明け方にもう一度リボーディングがある。落ち着いて寝ることもできない。しかしこれが最後のリボーディングとなるのでようやく眠りにつくことができた。とはいえすぐに朝となり朝食タイム。マクドナルドでアメリカンな朝食を取る。寝不足でぼおっとしていると、若い女性たちが半袖とショートパンツの身軽な姿でマクドナルドに入ってくる。いきなりの南国ムードに驚く。もうフロリダに入ったようだ。
バスはさらに数時間走り、ようやくマイアミに到着する。バスを降りると外は暑い。さすがに24時間もバスに乗ったら、真冬から常夏の町にたどり着いてしまった。暑苦しい服を脱いで身軽になる。空港までグレイハウンドのバスに乗せてもらい、友人を待つ。久しぶりに友人に会うのだからと歓迎の紙を用意してみたのだが、出口を探しているうちに友人が来てしまい、ボケるタイミングを逸してしまった。何とも残念である。
強引な代理店
昼間に友人と再会したにもかかわらず、バス路線を間違えたりして日が暮れてからようやくマイアミビーチにたどり着いた我々。声をかけてきた代理店で安直に宿を決めてしまったもののなんとなく高い。翌日チェックアウトして別の宿を探すことにする。
歩き方に載っているツーリストインフォメーションを探すもののそんなものは見つからない。歩いていると例によって代理店の人間が声をかけてくる。聞くとけっこう安い宿を知っている。わざわざ部屋まで見に行くものの、キーウェストへ行くツアーを申し込まないとこの値段では部屋を紹介しないと言われる。いきなりの抱き合わせ商法だ。話が強引なので断るとさっきまでとは一転して態度が悪くなる。もう一件の代理店もあたってみるが、たった2日しか滞在しないと言っても明日キーウェストだという方向に話を持ってゆく。どうもマイアミの代理店はキーウエストが好きなようである。
かなり歩き回ってようやくほどほど安い宿を見つけることができた。それも2日間だけで、それ以降はボートショーというイベントがあるので値段が上がるという。部屋も見つけにくくなるようだ。まったく、このハイシーズンによけいなイベントをやるものである。
そこかしこに置いてある無料マイアミマップを見ていろいろ歩き回るが、どうもこれが正確なのか不正確なのかよくわからない。マイアミはアメリカとはいえほとんどスペイン語圏であり、人々もラテンのノリが感じられる。このマップもラテンのノリで適当に作られているのかもしれない。困ったものだ。
マイアミビーチでくつろぐ私の友人
キーウエストへゆく
当初からレンタカーを借りてキーウエストに行くことにしていた。ところが面倒くさがりな友人が日本でレンタカーを予約してこなかったためにずいぶんとやっかい。レンタカー会社のオフィスが見つからないのだ。けっきょく友人がわざわざ空港に行って申し込んでこなければならなかった。しかも安い車はすべて出払っていたという。朝一番でキーウエストに行く予定が、けっきょく昼過ぎにようやくマイアミを出ることになった。
アメリカ最南端のキーウエストまで、小さな島々を渡した道が通っている。珊瑚礁の海を抜ける快適なルートということで、しつこい代理店の勧誘をはねのけてまでレンタカーにしたのだ。とてもいい経験ができるに違いない。
ところが出る時間が遅かったことと天気がいまいちで曇り空ということで、海の青さが実感できない。最も有名な、海のど真ん中を通るセブンマイルブリッジにしても、実際にその場を走ってみるとそれほどの感動が得られない。あれは空撮するからきれいに見えるのであって、視線の低い乗用車で走る分にはただの道だ。こんなものかとがっかりしているとキーウエストにたどり着く。
キーウエストはさすがに島々の中でも一番栄えている。アメリカ最南端の場所へいってみると、そこは道の片隅に碑が立っているだけの実にシンプルな観光スポットだった。というのも、実際の最南端はその隣の海軍基地内にあるらしい。潮岬や宗谷岬のように派手な演出を期待していただけにがっかりだ。
一泊する予定だったものの、目星をつけていたユースホステルは予約がないと泊まれないと言われる。じいさんばあさんまでが泊まる盛況ぶりで、無計画な我々が入る余地などなさそうだ。けっきょくキーウエストをほとんど歩かないまま、再び夜道を引き返すだけとなった。ドライブも旅の醍醐味なのでよしとしよう。
ところでこの車、アクセルを踏み込むと不吉なほど軽快に加速する。これだけ加速のいい車に乗ったのは初めてだ。貧乏旅行の自分を気づかってレンタル料金を教えてくれないが、この車、レンタル料金がかなり高そうだ。友人はやけになってオートクルーズ機能を楽しんでいる。やたらウーハーの利いたカーオーディオをかけ、ガソリンをまき散らしながらアメ車を飛ばすのはなんとも景気がいい。借りちまったものはしょうがないのだ。
遠いドミニカへの道
マイアミの次はドミニカ共和国に行くつもりでいた。というのも、以前勤めていた会社の先輩がこのカリブ海に浮かぶ島国で働いていて、旅に出る前に日本で再会したとき、気軽に「遊びに来れば」といわれていたからだ。本人もまさか本当に来るとは思っていなかっただろう。こうなったらどこへでもいきますよ。
カリブ海諸国へはマイアミからゆくのが手っ取り早い。歩き方には中南米への玄関口とか書いてあるくらいだ。それならチケットも安そうだ。マイアミビーチ沿いの旅行代理店にあたってみるとこれがあんがい高い。よくよく聞いてみると税金が高いのだという。なんだそりゃ。チケットの3分の1ほどが税金である。どうも飛行機を使っての旅は金がかかってしようがない。しかも日曜日に発つ安い航空会社はアエロマールとかいう正体不明の会社しかない。アエロという言葉がやけに不吉である。火曜日以降なら大手のアメリカン航空が安くなるというものの、マイアミにいるだけで金がかかるので早く出発したい。
代理店もいい加減で、リコンファームの必要があると言いつつ、ドミニカのアエロマールの電話番号は知らないという。しつこく訊くとうっとうしいやつという感じで応対され、いくら待っても調べてくれない。いいかげんあきらめて出てしまった。友人にも空港のカウンターでやればいいと言われるが、できるうちにやっておくというのが今回の旅で得た教訓だ。常に最善を尽くしておいて損はない。
キーウエストから帰ってきて旅行代理店でチケットをおさえ、さらに宿探しをしなければならない。例のよけいなボートショーのおかげで宿も強気で、ちっとも安い部屋が見つからない。というかレンタカーで走りながら探しているので宿自体がちっとも見つからない。道を間違えたりなんだかんだしていて、夕方頃にようやく安っぽい宿を見つけることができた。ようやく一安心だ。
ちなみにレンタカーでボートショーの会場を通ると、まるで巡洋艦のような超デラックスヨットが山ほど停泊している。三浦半島のヨットハーバーに泊まっているようなちんけなヨットとはわけが違う。こんなもの1億円だしても買えそうにない。どんな金持ちがこんなでかい船を買うのだろうか。我々貧乏人はただ口を開けて眺めるだけだった。
いよいよ最終日、友人は朝一番の飛行機に乗るため早々に宿を去っていった。自分は午後4時近くのフライトなので、余裕を持って昼頃宿を出る。空港に行ってインフォメーションでアエロマールのカウンターを確認し、すでに常食と化しているバーガーキングで腹を満たす。オンシーズンのボートショー期間中ということもあってか空港は人が多く、M−16のような物々しいライフルを抱えた軍人が警備していたりする。ちなみにバーガーキングの本社はすぐ近く、ホームステッド市というところにあるという。
出発時間を表すモニターを見ても、アエロマールという表示は出ていない。弱小航空会社だからなのかと思って待っているが、1時間半前になってもチェックインカウンターが開かない。どういうことだろう。
再びインフォメーションに行ってみると、アエロマールのフライトはキャンセルだという。そんな話、さっきはしなかったくせに。アエロマールの電話番号を教えてくれるが、空港の公衆電話は50セントと高いし小銭しか使えない。しかもかけてみたら事務所はしっかり休んでいる。チェックインカウンターにも人はいないし、これでは対処しようがないではないか。インフォメーションの人間に文句を言ってみたものの、だったらここに泊まって明日まで待てばいいと言われただけ。途方に暮れ、小銭を消費しながらホテルを探し、再びもとのホテルに帰ることとなった。電話代だけでもバカにならない。
翌日の9時に電話をかけるがあいかわらずつながらず、10時になってようやく係員が出る。すると今日のフライトは8時に出てしまったという。そのために事前に連絡をしたがあなたには連絡がつかなかったとか言われる。そんなこと言われても、こちらはホテルを転々としている貧乏旅行者なのだ。フライトキャンセルの日に事務所を閉める方が悪い。とにかく電話でなにかを交渉するというのは難しく、ちっとも話が進まないしよくわからない。宿のオヤジに頼んでかけてもらい、話をつけてもらう。別のフライトを用意するので、あとで連絡するという。ならば部屋で待つとしよう。
ところがチェックアウト時間が迫っているのに一向にかかってくる気配がない。さっきの電話でオヤジが適当に電話番号を教えていたし向こうも再確認した様子がなかったので、間違って聞き取っているのかもしれない。まったくラテン系どもが。しかもよくよく調べてみると、部屋の電話機の線が切れているではないか。なんちゅう安宿だ。オヤジに言って電話を替えてもらうが、12時以降になっても部屋にいるときはもう一泊分金を払ってくれという。冷たいなあ。
そこでもう一度アエロマールに電話。一回目は勝手に切られ、二回目でつながる。チケットはおさえたのでこれからホテルに持ってゆくという。ならなぜ電話してこないんだ。しかものろのろと応対するのでまた途中で電話が切れてしまう。もうまったく小銭などない。最後に「自分はホテルで待つ」と言ったので大丈夫だろうと考えてチェックアウト、ロビーで待つ。30分後にアエロマールから電話がかかってきて、「さっきは切れてしまったけど」とか言っている。向かっているんじゃないのか? こちらが怒って変な英語を使うので別の係員が出る。そいつが「ハウアーユー」とかのんきに聞いてきて切れそうになる。この状況でファインなどと答えられるとでもいうのか。
さらに待つこと45分。ようやく社員がやってくる。よけいに泊まったのだからホテル代を要求すると、レシートをファックスで送ってくれという。送ってからどうすればいいのかということでまたもめる。ほとんど払う気はないようだ。さらに空港までこいつが送ってくれるのかと思いきや、自分はドライバーではないので送れない、代わりのチケットを持ってきただけだとほざく。たしか電話では空港まで送ると言っていたはずなのに。ついに切れ「信じられん、最悪の会社だ」とか叫んでいると乗せてくれた。ここまで最悪の対応の会社も珍しい。
あとでドミニカの先輩に聞くと、この会社の飛行機はかなり怪しく、誰も利用しないとのこと。かなりばくちかもしれない……。
こうして最初から最後まであわただしかったマイアミ滞在。せっかくのリゾートなのにほとんどビーチに行くヒマがなかった。あとで資料をあたってみると、マイアミは晴れが多く、雨は春から夏に集中しているのだという。今は雨のシーズンではないはずなのに、我々の滞在中はずっと天気が悪かった。ついでにレンタカーの値段に関しては、フロリダが全米一安いらしい。一週間で100ドル前後と書いてある。となると我々は一日で相場の一週間以上分の値段を払っていたことになる。宿も安くないし、まったくボートショーには最後までしてやられたという感じである。
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南の島の大都市 (ドミニカ共和国 02.2.23)
ドミニカ共和国は、スペイン人が初めて町を作ったという歴史的な国である。今はビーチリゾートで有名なドミニカ。ビーチは高いと直感した私は首都のサントドミンゴのみに滞在する。こんな南国に来てまで首都だけとはちょっともったいないかも。
カリブの島へ
アエロマールからの振り替え先は大手のアメリカン航空だった。少なくともアエロマールよりは聞いたことがある名前なのでちょっと安心できそうだ。フライト時間もアエロマールより短い。アエロマールの機体がよけいに心配になるところだ。
日本を離れていて詳しく知らないのだが、マイアミは炭そ菌とかいう生物兵器を使ったテロの舞台になったのだという。キューバにタリバン関係者が連れてこられたという話も聞いたし、とにかく危険地帯だ。軍隊が警備していたわけもうなずける。ということで搭乗ゲートにゆく前に手荷物のチェックを受け、さらに飛行機に乗る直前に何人かの乗客が脇で徹底的に調べられていた。もちろん自分もチェックを受けさせられる。靴まで脱がされかなり徹底的。さっきチェックを受けたばかりではないか。しかも全員ではないところがよくわからない。
搭乗してからがまた問題で、離陸時間をとうに過ぎても飛行機は飛び立たない。うとうとしてから目を覚ましてもまだ動かない。結局小一時間してからようやく離陸した。大手のエアラインということで機内サービスに期待していたものの、夕食時にも関わらず出てきたのは乾き物のみ。ビーマンバングラデシュよりひどいではないか。
2時間ほどでドミニカ共和国のラス・アメリカス空港に到着する。待ち受けるは通るたびに緊張するイミグレーション。今回も例外ではなく、なぜか隅の方でトラベラーズカードというものを販売していてけっこう買っている人間がいる。あれ、ドミニカ入国は無料ではないのか? しかもドル払いでうさんくさい。係員に聞いてみても頼りないが、どこかに問い合わせてから別の出入国カードを配ってくれる。これ、アメリカン航空の機内で尋ねたところ、ドミニカ人用だとくれなかった紙だ。まったく、どういうつもりなのだろう。
イミグレでこの紙を見せるとわりとあっさり入国することができた。あとで歩き方を見て確認すると、紙の書き方は間違っていたし、帰りのチケットも見せていなかった。それでも余裕で通過。やっぱりイミグレはこうでなくちゃ。
無事イミグレを通過してから荷物待ち。またしてもちっとも出てこない。悪夢再来かと思っていると最後の方に出てくる。税関に並ぶと、お前は出ていいという感じで手招きされてノーチェックだった。やっぱり税関はこうでなくちゃ。
もう夜の9時。仕事場で待っているはずの先輩に電話しなければならないのだが、電話のかけ方がまるでわからない。空港もなんとなく怪しげ。時間も遅いし、すぐにタクシーを拾って移動することにした。タクシーといっても普通の車で、不法な白タクにしか見えない。空港からは暗い道をひたすら走る。やけに遠い。30分近く走ってようやく町中へ。住所を見て探し回ってようやく目的地を発見する。
怖そうな警備員がチェックする前を通過し、建物の中へ。そしてようやく先輩と再会するのだった。
サントドミンゴに暮らす
先輩は政府系機関で働いていて、自宅はなかなか快適なアパートメントだ。気がつけばもう7ヶ月も旅をしているのだし、特にヨーロッパ、アメリカは宿代が高いのでのんびり留まることなどほとんどできず、せかせか観光をする旅にも少し疲れてきた。ということであれこれ観光を勧める先輩を無視してのんびりくつろがせてもらうことにする。昼間からビールを飲みながら、たまりまくった当旅行記を書くのはなかなか優雅な気分である。出かけるにしても、すぐ近くの海岸とスーパーのみ。まるでパキスタンのフンザのようなのんびりとした時間を過ごしている。
日本人の部屋はやっぱり居心地がいい。梅干しや味付け海苔、ふりかけと心ときめく食材があふれている。キッチンも日本人的で、ワシントンで使えないとトニーが怒っていたオーブンが、ここではたんなるナベ置き場として使われている。大学時代の友人など冷蔵庫をタンス代わりに使ってパンツを収納していたのだからこんなものか。
歩いて数分の場所に海岸がある。数分といっても、海岸沿いにある道の交通量が半端ではなく、意味不明の交通ルールとあいまってそう簡単には渡ることができない。すぐに車を止めてくれるヨーロッパやアメリカの交通事情に慣れきった自分にはかなりハードな場所だ。
苦労して渡ったわりに海岸はあまりきれいではない。せいぜい三浦海岸や須磨海岸よりちょっときれいといった感じである。南の島といってもすべての海岸がきれいなわけではなく、大都市のすぐ近くの海はそれなりに汚いのだ。それでも地元のカップルがやってきて景色を楽しんでいる。東京湾ですらデートスポットになるのだからこれでも十分すぎるくらいだ。
スーパーはこんな国のわりにしっかりしている。けっこう広く食材も一通り揃っている。ただ自分のような純日本食を好む人間としてはよけいなアイテムばかりでいまいち使えない。
半袖半ズボン、サンダルでふらふら歩いていると久しぶりに熱い視線をばしばし感じる。まるでアジアだ。よく観察してみると、半ズボンなどはいている人間はほとんど見かけない。東洋人顔もさることながら、この服装が目立っているのかもしれない。聞いてみると、ドミニカ人は服装で人を判断する傾向が強く、暑くてもスーツを着る人はスーツを着るのだという。どこかの国に少し似ているような。島国はどこでも同じような発想になるのだろうか。もちろん、狂ったように暑いアジアでも普通の人々は長ズボンをはいている。半ズボンをはくということは観光客だということを自らアピールしているようなものである。
渋くビールを空けながら執筆
歴史が重い
はるばるドミニカに来たもののまるで観光しない自分に先輩もあきれ気味の様子。このままではただのぐうたらと思われてしまう。そこで体にむち打ってサントドミンゴの観光スポット、旧市街へ行ってみることにする。
部屋から旧市街まではそれほど遠くなく、歩いても20分くらいでついてしまう。部屋にいれば快適な気候も、外に出て日差しを浴びれば暑くて不快きわまりない。もちろんドミニカにとっても今は冬。一年で一番寒い季節である。暑い国はつらいなあと、再び訪れる予定の東南アジアのことを今から心配するのだった。
まず行ったのは大聖堂。新大陸最古の大聖堂で、最近までコロンブスの遺体が安置されていた場所だということだ。とすると、セビリアにあったコロンブスの墓はいったいなんだったのだろう。観光のネタになりそうな歴史的人物にはありがちである。すぐ前にあるコロンブス公園はただの空き地に見える。ガイドが声をかけてくるが日本語で簡単に断れる。この程度ならたやすいものだ。
歩き方に載っている名所をいちいちたどってみるが、これがそうかよとがっかりするようなものが多い。王宮博物館というものがあるので行ってみる。もともと安い入場料にもかかわらず、ニセ学生証でさらに値切る。中は首都の博物館にしてはこじんまりとしている。日本のよろいや刀があって、サムライとか紹介されている。ちょうど異国人の客が来てサムラーイと納得していた。複雑な心境である。
ドミニカの名産品は琥珀だということで、琥珀博物館にも行ってみる。一階がおみやげ屋、二階が博物館と、ツアー客を引き込むための場所にも見える。金を払って中に入ると、虫入りの琥珀がたくさん展示してある。ジュラシックパークで出てきた琥珀はドミニカ産ということだ。素人目にはゴミ入りアメにしか見えないが、中にはトンボの羽がきっちり残っていたりときれいなものもある。ここで目を慣らしておくと、路上で売っているニセ物がいかに安っぽいかわかるようになる。
観光の中心地というものの、実際に歩いてみると悲しくなるほどなにもない。新大陸最初の都市という輝かしい歴史を持つものの、サントドミンゴを観光の目玉にするのはちょっと難しそうだ。やはりこの島はビーチか。
朽ちた大砲
ついに南国のビーチ
週末、先輩とその事務所の上司、私の3人でサントドミンゴから近いビーチに行くことにする。自分の腰が重いので連れてゆく気になったようだ。南国の島のビーチなど、この貧乏旅行で訪れることになるとは思っていなかった。
ビーチの前にコロンブス記念灯台へ。コロンブス新大陸上陸500周年を記念して作られたというこの建物。外から見るとやたら立派で、まるで風の谷のナウシカのオームのようだ。中にはコロンブスの骨が祭られていて、衛兵が護衛している。ちょうどその交代式が見られたのだが、なかなか衛兵が配置につかず、墓の周りを行ったり来している。飽きっぽいドミニカ人は、途中で最後まで見ずにどこかへ行ってしまう。衛兵たちも案外いいかげんで、ユニフォームのヘルメットを取ったりよそ見をしたりしている。チェコ・プラハの衛兵はそれこそ一点を見つめたまま表情も変えなかったのに、なんともラテン系な人々だ。
ラテンな衛兵
最初に向かったのはファンドリオという海水浴場。ビーチ脇のレストランで豪華にシーフードをおごってもらう。久しく拝んだことのない巨大なエビが出たりと、ひもじい思いをしていた自分にはかなり贅沢なランチだった。メインのビーチは、海に藻が浮いていたりしてあまりきれいな感じがしない。ゴミひとつないようなビーチというのはひょっとして誰かが藻を掃除しているのだろうか。
ファンドリオが地元民向けのちょっと地味なビーチに対し、次に向かったのはボカチカという人の多いにぎやかなビーチだ。駐車場に車を停めるところからしつこい勧誘が始まり、ビーチに出ても物売りやらなにやらでせわしない。満ち潮なのか店が場所をとり過ぎなのか、砂浜の場所が狭いような。海も思ったほどの青さではない。マイアミの方がきれいか? やはりここら辺はまだサントドミンゴに近いので、それほどのものでもないのだろう。
とはいえ南の島のビーチはいい
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アエロマールでアメリカ再上陸 (ドミニカ共和国-2 02.3.30)
ドミニカでの休養を終えて、再びアメリカ大陸横断の旅へと戻る。エアの旅は楽でつまらない? それならアエロマールをおすすめする。さすが謎の航空会社アエロマール、最後まで私を楽しませてくれた。
きれいなドミニカの海岸
空港に行け
いよいよドミニカ最後の日。日曜日にもかかわらず先輩は仕事で出かけてしまう。特に今は期末ということでいつもよりも仕事が多いらしい。タイミングが悪いときに来てしまったものだ。
昼過ぎまで時間をつぶしてからタクシー会社に電話する。というのも、島国にもかかわらず空港までやたら距離があり、タクシー以外にまともな交通手段がないのだ。果たしてこの英語がほとんど通じないドミニカでタクシーが呼べるのだろうか。電話はタクシー会社につながるものの、まるで意志が通じない。こちらが意味不明の言語を話すのが気にくわないらしく、そのうち電話は無情にも切られてしまった。やっぱりスペイン語ができなければチャーターなど無理だ。
何とかなるだろう、この南国の脳天気な空気に毒された私は大して心配もせずとりあえず外に出てみる。するとまるでしらじらしく感じるほどタイミングよくタクシーらしきボロ車が向こうからやってくるではないか。「空港」と言うとあっさりと乗ることができた。まったくイージーである。
前日の先輩たちの危なっかしい不慣れな運転とはうって代わり、軽快に空港までのシーサイドロードをぶっ飛ばす白タク風。お節介にも窓を全開にしてあるので風で目がまともに開けられない。ボロタクシーのわりにパワーウィンドウが装備されていたりとハイテクなのだが、客席側のスイッチが壊れていて窓が閉められないのだ。
よけいなハイテクである。
忘れるものかアエロマール
空港には3時間前にたどり着く。さすがに早すぎたか。アエロマールのカウンターの場所を確認しようといってみると、すでに人が並んでいてチェックインが始まっているような雰囲気だ。普通なら2時間前から始まるはずなのに。ああいう航空会社なので自分も早めに済ませてしまおう。カウンターでの搭乗手続きはアナログ指向の手書き処理で、あのバングラデシュのダッカ並みのローテクノロジーぶりだ。
ふと搭乗券を見ると、なぐり書きされた搭乗時間が予定より早い。係員に訊いてみると、スケジュールが一時間早まったというではないか。
そんな話は聞いていない。帰りまで勝手にスケジュール変更とはなんちゅう会社。早めに来ておいてよかった。
適当に時間をつぶしてから、余裕を持って搭乗口へ向かう。出国は入国に比べてどこも楽なので安心しきっていたところ、このイミグレの職員、スペイン語でなにやら聞いてくる。まったく英語が話せないイミグレ職員というのも初めてだ。こうなったら
ジャパン、ジャパンを連呼して切り抜けるしかない。どうせ奴もヒマなだけで大した意味はないだろう。
搭乗ゲートにつくとなぜかひとけがない。さらには表示板にフライト名が出ていない。これはどういうことだ? ふとマイアミでの不安が頭をよぎる。とりあえず待つしかないだろう。
しばらく待っていると、アエロマールは予定より一時間遅れで飛ぶというアナウンスが入り、搭乗ゲートも別の場所に変更となった。元の離陸時刻に戻ってしまったではないか。しかし遅れは一時間などでは済まず、離陸時間近くになってようやくマイアミから機体が到着する始末。そのままとんぼ返りでマイアミに向かうらしい。まるでバスのように機体を運用する。
離陸時間が遅れようがなんだろうが、セキュリティチェックは異常に厳しい。最初にチェックを受けたのになぜまた搭乗直前に再度チェックを受けなければならないのか不思議でたまらない。幸いなことに自分はそれほど厳しくはなかったが、他の客は例によって靴を脱がされたりパソコンやビデオカメラなどの電子機器のスイッチを入れさせられたりとこれではいくら時間があっても足りないくらいだ。
全員が乗り込みようやく離陸。一番はじめに聞いていた時刻よりさらに一時間遅れとなる。一時間繰り上げる突然の予定変更とは
なんの意味があったんだろう。
機内では、けちくさいアメリカン航空とは違ってちゃんと機内食が出る。味はともかくとして、食事が出るだけマシだ。3時間ほどでマイアミに到着。無事に着陸すると乗客から
思わず拍手があがる。噂に聞いていた着陸拍手である。ドミニカ人にとっては飛行機のチケットは高いだろうし、出国も難しいということで、何事もなく自由の国アメリカにたどり着いたということは喜びなのだろう。思い返せばリコンファームしようとしたら英語が通じなかったり予定が繰り上がったり遅れたり、ようやく離陸しても上昇がおぼつかなく
ひょっとして落ちるんじゃないかといった不安が頭をよぎったりと苦労の連続、自分としても心の底から拍手がわき出てくるような状況なのであった。
イージーとバックパッカーからさげすまされるエアの旅も、アエロマールに乗れば無事に目的地に着くことがいかにありがたいか実感できることだろう。
もう二度と乗りたくない航空会社である。
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